18時、私は小さいようで大きな決断を給水課長の仁村へ伝えました。
これまで仁村の陣頭指揮で行ってきた応急給水を、松山市公営企業局と九州から支援に来ている大分市上下水道局へ、指揮等一切お願いしようとするものです。
責任感が人一倍強い仁村は少し難色を示しましたが、仁村の疲労の色が日に日に濃くなっている状況を考え、また、松山市公営企業局の平松事業管理者を筆頭とする多くの人のアドバイスに甘えることとし、私は彼を押し切りました。
指揮権を手放すことについて、私自身もかなりの抵抗があったのでしたが、これからさらに押し寄せる作業のことを考慮するとそうは言ってられません。結果的にはこの決断が正解だったのです。
私は仁村と二人で、応急給水支援の控室となっている会議室へと向かい、両市に頭を下げました。両市が快諾したその瞬間、会議室は応急給水の指揮所に変わりました。
ー この記事の原文は水道産業新聞2020年(令和2年)12月14日版(第5462号)に掲載されたものです ー
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