おわりに

おわりに

 1年半を超えた長期の紙上連載でしたが、関係する皆さまのご協力、そして読者の皆さまからの暖かい激励のおかげで無事完結させることができました。この場をお借りし感謝申し上げますとともに、記述と事実との相違による不快感を与えてしまった一部の皆さまには、心よりお詫び申し上げます。

 さて、本編にしたためた一連の応急対応が完結して間もない11月25日、私はイタリア・ローマ郊外の水道橋公園に妻と二人たたずんでいました。本災害前に予約済みの航空チケットを悩んだ末にキャンセルせず、市長ほか回りの理解の元で渡航を決行していたのです。それは、旅行、特に欧州への個人旅行が好きな我々夫婦にとっての、応急対応への一区切りという位置づけでもありました。

 この日のローマは雨でした。滞在していたアパートメントから地下鉄を乗り継ぎ、そして最寄りの駅から数百㍍の距離を歩き公園に到着。ここは、ただただ水道遺構を保存してある広大な公園です。既にフェリクス水道橋が横たわっているのが見えています。我々は時折横殴りの強い雨が襲ってくる中、低いフェンスの切れ目から公園に足を踏み入れました。

 視界を塞いでいたフェリクス水道橋をくぐると、その先には壮大なクラウディア水道橋の遺構が途切れながらも連なっている光景が広がっています。多くの外力に耐えながら、約2千年間耐えてきた姿です。

 私はこのローマ水道に圧倒されました。約2千年前、超緩勾配の自然流下水道を造り上げていたという予備知識は持ち合わせていたのでしたが、いざ現物を目の前にすると、その姿にただただ圧倒されるだけだったのです。

 横殴りの雨の中、広大な公園の中にいるのは我々夫婦二人だけです。そしてそこから遺構まで広がる原っぱには、狭い一本の小径が延びていました。「ここに来て私の姿を見ろ。そして自分たちの水道の将来を考えろ」と、私を導くように。

 実際、それから定年退職までの1年少々の間、私は水道の将来について考えさせられる場面に何度も出くわしました。宇和島市水道局・南予水道企業団をいくつもの危機が襲ったのです。

 例えば宇和島市水道局では、離島に水を送る海底送水管が何らかの外力を受けて破断し、海面養殖漁業の盛んな3つの離島で断水が発生、船舶を利用した応急給水活動や潮待ちを伴う復旧工事など、通常とは異なる困難に立ち向かうことを余儀なくされる事故が発生しました。ただ、水産業者による用水運搬など、本豪雨災害で経験したことを応用し即座に対応できたことは、過去の教訓を生かすことができた一例ともなりました。

 また、諸事情により定年前の半年間だけ事務局長を併任することとなった南予水道企業団でも、西宇和郡伊方町内で南予用水北幹線水路の破断事故が発生し、同町三崎地域全域が断水する事態となりました。この時は、豪雨災害で結果的に多くのモノを保有することとなった宇和島市水道局が、支援要請を受けた後に、すぐさま据え置き1㌧タンクを地域内各地に搬送し、また、同局を含めた県内事業体が加圧給水車による充水支援を行うなど、相互支援によるきめ細やかな応急給水体制を速やかに構築することで、町民への影響を最小限に抑えることができました。

 図らずも、一度備えたモノやシステム、そして相互支援・広域連携は、将来の大規模災害に対してだけではなく、突発的に襲ってくる目の前の危機対応に有効だということを、我々は実際に身をもって教わることとなったのです。そして何よりも経験というものが、水道の将来にとって最も大切なことだということも。

 そんな危機対応に奔走した水道局での3年間を終え、私は定年退職。そして縁あって、この手記を水道産業新聞紙上に連載し完結させることとなりました。その間に南予水道企業団は、吉田・三間両地域の代替浄水施設2期工事を無事終えています。これで両地域における当面の水道供給体制の安心・安全・安定化対策は整い、少しの間だったものの同企業団に籍を置いていた私も安堵したものでした。

 またこの期間は、新型コロナ感染症でこれまでの日常が一変した時期でもありました。社会の混乱が初期の想像を遙かに越えて続く中、私も当初思い描いていたコンサルタント活動や、ライフワーク化している海外渡航が縮小・休止を余儀なくされます。

 豪雨災害対応で私が学んだことの一つに、「一人では何もできないし、周りの助けを得ながら、状況に逆らわず流れに乗ることが大切」という教訓があります。それは、国からの直接の支援など、これまで経験したことのない大きな力に包まれ、また多くの皆さまに助けてもらいながら、あり得ないくらいのスピードで危機を乗り越えていったという経験から来たものでしたが、私はこの期間、自然体で目の前のできることだけを行っていました。

 例えば仕事ではこの手記の筆を進めること、新型コロナ流行の谷間には講演等に出かけること、大手コンサルタント会社の下請けとして自宅兼事務所に籠もって成果品の作成をお手伝いすること等々。例えばプライベートでは、タイミングを見計らって日本を見直す旅に幾度も出かけたことなどだったのでしたが、そんな「勝手気まま」な毎日を送りながら、一人で『なーるほど』と納得する場面に出会うことが多々あった期間でもありました。

 それは新型コロナ感染症へ日本中、いや、世界中が立ち向かっている姿をアウトサイダーとして眺めていると、私が経験した豪雨災害時の応急対応に似通っているところが多いと感じたということです。それは、「危機管理・危機対応で押さえるツボは同じなのだ」と言い換えることができるかもしれません。

 初動時や方針の決定・変更時、見切り発車を含めたスピード感を重視するのか、それとも安全性や安定性を重視するのか、また、目指すのはゼロリスクなのかそれともリスク低減なのかなどですが、これらは時の内閣、また国家毎に大きく異なっているようでした。また、情報の収集・整理・解析・発表をどうバランスさせていくのか、日本国内だけを見ても各都道府県や各市町村によって対応に大きな違いがあったようです。

 それらがどうあるべきなのかについては後に検証されるでことでしょう。ただ、眺めている私にとっては、『じれったい』と思うことが何度もあったというのが正直なところです。自身この手記を読み返してみると、例えば当時の限られたリソースの配分は果たして正解だったのか、もっと上手く各担当のピークカットができたのでは…、などと反省させられる場面が多々ありました。そしてそれら多くの出来事や判断が、現在の新型コロナ感染症対策と重なって見えるのです。

 「はじめに」でも記しましたが、この手記へは、これからも起きるであろう災害・事故・感染症への備えや、それらと対峙する際の気構えなどに向けたヒントがちりばめられるだろうと、著者の私自身が思っていました。そして書き終えた今は、その思いが確信へと変わっています。この手記が水道界の皆さまだけでなく、日本全国の危機管理・危機対応に従事される皆さまにとって、ちいさな道標の一つとして今後何らかのお役に立つことができたとすれば、この手記を書き上げた身にはこれ以上無い喜びです。

 私は本来造園を専門とする技術者です。そんな私にとって、定年前の最後に所属した水道局での3年間は、この不幸な豪雨災害への対応を含め、かけがえのない体験に向き合うことのできた期間となりました。こんな水道界のアウトサイダーではありますが、今後も可能な限りこの世界に関わっていきたいと考えています。

 そしていつかどこかで、私のつたない文章にお付き合いくださった皆さまにお目にかかりたいとも思っています。その際には、一人の仲間として暖かくお迎えいただければ幸いです。

 最後になりますが、命の水を送り続けるために昼夜奮闘している皆さま、本当にありがとうございます。そして次の世代、また次の世代へと襷をつなぎ続けて下さいますようお願いいたします。

令和4年3月(一部修正令和4年8月) 石丸孔士

ー この記事は水道産業新聞2022年(令和4年)3月10日版(第5565号)に掲載されたものです ー


《無断転載はお断りいたします。》

*本手記にこれまで登場した人物や組織に対する私の意見・感想は、個々の評価を意図したものではありません。また、臨場感を伴わせて全容をお伝えするために人名を記載していましたが、文面に対する人それぞれの捉え方に配慮し全て仮名にさせていただいておりました。長きに亘りご理解下さいました皆さまに、あらためて感謝申し上げます。

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