(3)戻ろう

終章 みちしるべ

 私が挨拶に松山市公営企業局を訪ねた9月14日、私と同い年で給水課課長補佐の植光は、配下の職員1名と一緒に同局の浄水場へ向かっていました。借用していた加圧給水車を返却するためにです。

 また、同様に愛南町水道課に向かっていた9月19日8時30分、私が不在の中、柿原水道本局では発災以来休止していた始業時の朝礼が再開されていました。

 少しずつ元のリズムを取り戻そうとし始めていたのです。

 宇和島市議会も同様でした。9月定例会は、災害の影響で通常よりも約半月遅れた9月25日に初日を迎えました。そして一般質問は10月3日からの3日間です。

 水道局は平素から最も答弁が少ない部局で、多くても一回の定例会での質問者は3~4人程度です。この定例会では水道局の答弁回数が増えるかもしれないと私は予想していたのですが、蓋を開けてみると質問者はいつもどおりの3人でした。発災後、全員議員協議会や常任委員会など多くの場で報告を行い、また質疑にも応じてきたからでしょうか。

 さて、一人目は三間地域在住の増岡議員です。

 質問内容は、発災からその時点までの状況とその後の予定についての確認が主なものでした。南予水道企業団からの情報を含め細かく説明すると、お叱りを受けるどころか逆に水道局の苦労を称えてもらえ、また、安心・安全な水の実現について議員側から提案があるなど、水道に対して理解を深めてくれようとする姿勢が印象的でした。

 二人目は、被害が甚大だった吉田地域玉津地区在住の川本議員でした。

 こちらも水道局の奮闘に対する謝辞から始まりました。そして次に、セーフティネット策としての相互融通管整備についての要望です。今回の災害で最も思い知らされたのがその不備でした。吉田・三間両地域へ、隣接する宇和島地域から水を送ることができていれば、仮に断水が発生してもその規模は極小となったことでしょう。市長も私も、そして水道局の他職員もその必要性は理解しています。ただそれに対し、「すぐに実施に向けた検討に入ります」と言えないのが辛いところでした。宇和島が持つ地形的条件によって、相互融通管の整備が水道事業の経営状況を一気にどん底へと引きずり下ろし兼ねません。私は答弁でまずそのことをオブラートに包んで言い、そして「今後検討を進めることは必要であろう」と答えるにとどまったのでした。

 この一般質問1日目に登壇した2名の議員に続き、2日目は三間地域在住の代々木議員の質問を受けました。私のその議会での最後の答弁です。

 南予水道企業団の2期工事に加え、三間地域の自己水源を持つ他浄水場の被災状況、また、長引いた飲用制限に関連する質問が続きました。消毒副生成物対策の内容と基準合格までの経緯について詳しく報告すると、臭気や色度・濁度の状況についての追加質問が返ってきました。既にそれらを含め、全項目が検査に合格したのちの市議会です。そのタイミングでしたので、私は堂々と答弁することができました。そしてこの市議会という公の場で、現在の水質についてのアピールを行うこともできました。

 この3名の議員に限らず、この災害での水道局の対応に対する評価は、議員・市民ともに高かったと私は感じていました。職員達の奮闘があってこそのことでしょうが、もう一つ忘れてはならないことがあります。それは支援の皆さまの〝姿〟です。

 発災2日目の松山市公営企業局に始まり、普段見慣れないたくさんの他事業体職員や加圧給水車などの車両が、柿原水道本局と被災地の間を何度も何度も往復していました。現場での活動そのものに加え、その姿が常に市民の目に留まっていたのです。私は市民がこの状況を実際に目にし、『水道は精一杯のことをやってくれている』と感じ取ってくれていたのだと思っています。

 この災害対応で身をもって学んだことの最大のものは、「被災地は上手に助けてもらえ」でした。断水の発生初期から収束期まで我々は、支援という大きくて強く、しかもものすごく速い流れに背中を押されながら、何とか前へ運んで行ってもらっただけだったような気がしています。でも、被災地はそれで良い。いや、それしか出来ないのです。

ー この記事の原文は水道産業新聞2022年(令和4年)3月3日版(第5564号)に掲載されたものです ー


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