(1)寒波 ~平成三十年二月~

序章 初めての異動

 「あの日」の約5カ月前、それは平成30年2月のことでした。

愛媛県の南予地方、これは県東部の東予地方、松山市を中心とした中部の中予地方同様、県南部地方の呼称なのですが、この一帯は近年に無い大寒波に襲われていました。

 そこに位置する宇和島市でも、北東部の三間地域を中心に1㍍近くの積雪を伴う低温が続いたことによって、広範囲で宅内給水管が凍結し蛇口からの水の出が悪くなっていたのです。その後の気温上昇とともに、雪融けだけでなく各所で水道管の破裂による漏水が発生。気温上昇の早かったお隣、北西部の吉田地域でまず広域漏水が始まり、その対応が終わる頃、三間地域も遅れて気温上昇が始まったことで、大規模な広域漏水が始まったのです。

 1日目はまだ気温も低めで、夕方になると溶けかけた雪がふたたび凍り、給水管からの漏水も夜中には一旦小康状態となったのでしたが、翌朝は…。

 これは平成30年7月7日、中国地方から1日遅れで宇和島を襲った豪雨によって、吉田浄水場を瞬時にして喪失した日から遡ること約5カ月、同年2月8日午前9時頃から起こり始めた広域漏水事故の様子です。

 この時は三間地域が断水に陥る直前、市長部局から大量の人的支援を受け、ローラー作戦で何とかその危機から脱することができたのでした。

 その平成29年度は、自身の定年退職まで残り3年となった年でした。また、東京の民間企業を辞め宇和島市役所にUターン転職して以来、28年間ずっと身を置いていた都市整備部門から会計も勤務地も何もかもが違う水道局へ、初めての異動を経験することになった年でもありました。

 水道局はそれまでの都市整備課とは違い、梅雨前線や台風などに伴う大雨に対する警戒度がさほど高くはないように感じられました。公園・都市計画・下水道などを所掌する都市整備課は、大雨による浸水だけではなく公園の土砂災害や強風による倒木等、市の部局の中では真っ先に災害警戒態勢を敷く必要があります。一方、水道局にとって水は売り物、降雨はまさに「百利あって害ほぼ無し」とほとんどの職員は認識していたようですので。

 例えばこんなやり取りもありました。

 私が局長として赴任した水道局は、宇和島市中心地域への水がめ、柿原地区にある須賀川ダムの直下にその本局が位置します。赴任まもなく隣接する主力浄水場の柿原浄水場を一人で巡視している時、北側に迫っている山を見上げた私は、もやーっとした空気に包まれました。『んー…、嫌な谷。はてさて、土石流とか大丈夫なのか?』と。そして私の頭の中では、水の流れが暫くシミュレートされます。

 部屋に戻り公表されている防災マップで確認してみると、やはりこの敷地は土砂災害警戒区域(土石流)です。そして、私の見立てと浸水範囲がほぼ一致しています。

 すぐさまその懸念を給水課の幹部職員に伝えました。給水課というのは、宇和島市水道局に2つある課の一つで、一方の主に「カネ」を担当する業務課と違い、主に「モノ」を担当する課です。彼らから返ってきたのは、「大丈夫、局長は心配性…」「ここがやられる時は、宇和島市内の全域が大変な状況の時…」といった、私のモヤモヤをかき消す多くの言葉です。

 私もそれで安心したのか、その日以降その話題を出すことは無かったかと記憶しています。

ー この記事の原文は水道産業新聞2020年(令和2年)8月31日版(第5437号)に掲載されたものです -


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