応急給水所の展開・運営が不十分ながらも少しずつ安定し始めたこの発災4日目の7月10日、水道本局は比較的静かな朝を迎えました。しかし命の72時間を迎えた朝でもありました。
残念ながら水道局職員A君の3人の肉親やBさんを含めた11名の方が帰らぬ人となって見つかり、行方不明者の捜索が終了した朝でした。
10時45分、県の水道政策の担当課より電話が入ります。
宇和島市での給水車不足情報を同課が県災害対策本部会議に上げ、支援要請をしているとのことです。県でも宇和島市での水道被害の問題が大きくクローズアップされているため、市の災害対策本部から県の災害対策本部へ正式な給水車派遣要請を上げるようにとも。
愛媛県では、県が直接水道事業に係わっていないため県と各水道事業体の結びつきは弱く、今回の災害では発災当初からその存在が消えているかのようでしたが、少しだけその姿が見えました。
一方、前日続々と到着し始めた四国内水道事業体からの給水車によって、この日11時、三間地域では告森集会所と基幹集落センターへ応急給水所を追加展開することができました。
そしてやっと、この日まで身銭を切った活動をしてくれていた消防団員から支援事業体へ、二名小学校での応急給水引継ぎが完了。本当に本当に地元住民のために活動を続けてくれたことに感謝!おそらくこのような心意気を持った大勢の方々が、発災からの数カ月動いてくれていたのでしょう。情報が我々に届いてないだけで。
13時30分からの本庁災害対策本部会議では、給水車の支援要請について私から本部長である市長へ確認しました。
実は、松山市公営企業局の平松公営企業管理者から私へは、それまでに何度も電話が入っていました。「○○市の給水車が向かっている。」「明日には○○市や○○市など、四国内の給水車が到着する予定。」などと。
それに加え、近日中には日水協九州地方支部からも大量の給水車が向かう予定との情報もあったのでしたが、平松管理者は懸念事項も同時に伝えてきていたのでした。
まずは、ものすごい数の給水車での支援に対し、被災地の宇和島市がそれをコントロールできるのかということ。もうひとつは、周辺の被災事業体に比較して支援がかなり厚いということ。
流石に後者は私の心を痛めました。『宇和島だけ良ければいいのか…』と。他市の被災状況の詳細は届いていませんでしたが、土砂災害は吉田地域に集中していることだけはおぼろげながらわかっていました。
そのため私は頭を切り替えます。地形的なハンデに道路の被害も重なり住民の移動がままならない状況では、更に応急給水所を展開していくしかない。しかも浄水場を喪失して先の見えない状況で住民の不安を少しでも減らすためには、他市よりも手厚い支援を見せていかなければならない。そう割り切ることとしました。それによって他事業体から批判を受けようとも、やるしかない。
そのことを、本庁災害対策本部会議で水道事業のトップでもある市長へ確認したのです。
私はその時の本部会議では多くを語らなかったのですが、市長を始め副市長、各部局長はおそらく心の内を察してくれていたのでしょう、市長からの、シンプルに更なる支援要請をするようにとの心強い指示に対し異論を唱える者はいません。私の心は更に固まりました。
ー この記事の原文は水道産業新聞2020年(令和2年)10月26日版(第5450号)に掲載されたものです ー
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