発災7日目となる7月13日、この日から少しずつ自己水源を活用した復旧の音が聞こえ始めてきました。
まず正午頃、吉田地域長谷配水区の地下水原水濁度が低下してきたことで、試験通水を開始。続いて13時頃には三間地域川之内配水区、15時頃には吉田地域法花津配水区で、それぞれの表流水原水濁度が低下してきたため試験通水を始めたのです。
また17時頃には、ほぼ被害の無かった三間地域迫目配水区から隣接する成家配水区への融通試験が、給水課の〝一部〟職員によって開始されました。成家配水区は三間地域最大の配水区、少しずつでも、迫目水源を利用しながら断水解消を目指します。
〝一部〟、それは普段は聞き流す何の変哲もない言葉です。でも技術担当職員の3分の1が自ら被災していたこの時、各所の漏水調査や修繕、そして加圧給水車の運転や応急給水所の運営に出勤している職員を回さなければならない、そんな中での復旧班編成です。ここに職員を割り振るのは、〝一部〟だけでも非常に困難な事でした。結局、三間地域に数名、そして吉田地域には、泥だらけの自宅の復旧を後回しにして職務に復帰した武橋君を始めとする3名でそれぞれ班を編成し、何とかそれぞれの地域に送り込むことができたのです。
被災職員は真夏の作業を終え帰宅しても、浴びる風呂の湯どころか水もありません。彼らの心意気には、本当にグッとくるものがありました。
また、「被災事業体自らで何もかもやっていくのは到底無理」という思いが次第に強く強くなっていき始めたのが、発災7日目のこの頃だったような気がします。
そのような状況下、手詰まり感を共に打開していってくれたのが松山市公営企業局と仙台市水道局、そして横浜市水道局です。
初期段階の横浜市水道局は、主に代替浄水施設の建設立案等で南予水道企業団への支援に注力していましたが、次第に宇和島市水道局の支援にも軸足を移し始めていました。松山市や仙台市と同様、トップクラスの技術系職員を派遣し続けてくれたことが、こののちに大きな効果を発揮していくこととなったのです。
ー この記事の原文は水道産業新聞2020年(令和2年)12月3日版(第5459号)に掲載されたものです ー
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