二、(6)仙台市(四)~支援の拡大~

第二章 一歩一歩

 さてその日の14時、仙台ナンバーを付けた3台の三菱デリカが柿原の水道本局に到着しました。

 空路ビックリする早さで到着した先遣隊から3日後、今度は遠路はるばる陸路で、漏水調査隊6名が乗った仙台市水道局の公用車が到着したのです。準備等を考慮すると実質2日での移動、私は長距離のドライブやオートバイツーリングが好きなので、かなりの強行軍だったというのが容易に理解できます。更にビックリの早さでした。

 日水協ルートとは別となる姉妹都市のよしみで、今後のカギとなる漏水調査に長けた職員の増派を桜島次長にお願いしていたのでした。北配水課長の加藤さんを始めとする6名の方々、本当にお疲れ様です。そして感謝感謝です。

 後で聞いたところによると、この加藤課長、東日本大震災で母親を失ったとのことでした。そのような辛い経験が、被災地宇和島への一刻も早い支援へ自身を駆り立てたのでしょう。

 私はその後15時に発災後初めて、吉田地域の送水管破損状況を数人の部下と視察しました。

 被災した吉田浄水場までの途中途中、水管橋に葦を中心とした多くのゴミが引っかかっているのを見て、洪水のひどさを思い知りました。

 ただ、空気弁が一カ所歪み破損していた以外は、護岸の変異等による大規模な被害が無くその点は幸運でした。肝心要の幹線送水管にどうやら大きな損傷は無さそうです。

 20時20分、自民党市議の浅井さんから電話が入りました。

 生活雑用水を海路送り届けるための充水は、宇和島港に設置してある大型給水栓から行われていました。その近くの消火栓から、生活用水をタンクに入れて運びたいと言っている被災者がいるとのことで、その可否についての相談でした。

 水道事業に係わる皆さまに説明する必要は無いでしょう、普段使用してない消火栓から素人が突然大量の水を出せばどうなるかについて。私はその点を丁寧に説明し、また、生活雑用水の運搬は別途始まっていることを伝えました。理解力のある浅井市議は、ねぎらいの言葉と共に生活用水の担当課へ直接連絡すると私に伝え、この一件は素早い決着を見ることとなりました。

 夜間を中心に吉田地域で試験通水と漏水調査を続けている水道局の3名の職員は、この日深夜、長谷水源から人口集中地区の御殿内方面への融通試験を行いました。結果は良好で、吉田地域中心部の配水管は見込み通りほとんど無傷だったようです。

 また同じく深夜、法花津配水区(玉津地区)の全域へ試験通水が拡大されました。拡大に従い配水管の損傷が多数見つかりましたが、これも我々の見込み通りでした。

 発災10日目となる7月16日です。この日午前8時30分、試験通水を続けてきた三間・川之内配水区で水質検査が合格となり飲用が可能となりました。

 また吉田地域の試験通水範囲を広げてきた法花津配水区でも、修繕が功を奏し広範囲での通水が可能となってきました。

 その後間もなくして、仙台市水道局の二人と協議です。

 実は前日、日水協愛媛県支部の松山市公営企業局に技術者等の派遣要請を行った際、総括班は仙台市からという要望を出していました。仙台市水道局からはそれまでに前向きな回答を受けていたのでしたが、ここからはアドバイス通り正規の日水協ルートに戻そうと我々もしていたのです。

 桜島次長は正式ルートで要請受けた場合、間髪入れず動こうという考えを持っていました。それを確実にするため、事業管理者、更には市長への確認を取ろうとしていたのでしたが、その正式な回答がまだ届いて来ないため、1日回答が遅れそうとのことです。既にその時松山市公営企業局からは、仙台市に対する総括班派遣依頼を上げていくならば、当然ながら相手側の正式な了承が必要と告げられていたのです。

 すぐに私は松山市公営企業局の武市管理部長へ電話を入れ、この件を1日待ってもらうことになりました。

ー この記事の原文は水道産業新聞2020年(令和2年)12月21日版(第5464号)に掲載されたものです ー


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