私はこの災害から1年以上ののち、定年まで残り約4カ月となる2019年(令和元年)11月、東京神田にある水環境分野の大手企業本社で講演をする機会を得ました。横浜国大で同年8月に開催されたシンポジウムで、初めてこの災害対応について講演した時と同じ演題、そして内容もほぼ同じものです。
私は都市整備課所属期間が長かったので、同社の事はかなり前から知っていました。宇和島市では都市整備課が下水道を所管する課でもありましたので。ただ詳細については知りません。やはり少し調べてから伺うべき、そう思ってネットで少し情報を仕入れたのでした。
すると、東京オリンピック・カヌースラローム会場の濾過設備工事を請け負っていたのは、同社だったということを初めて知ったのです。協業の立場の可搬式水処理装置関連企業とともに、同社も大型可搬式水処理設備の吉田への融通に係わっていたのでした。
あのまま下調べをせずに出向いていたら、大変な失礼をするところでした。同社の名前が災害対応当時に出てこなかった理由はわかりません。ただ、訪問した際、遅まきながらの謝意を伝えたのは言うまでもありません。
同社の担当者穂積氏は、横浜国大シンポジウムでの私の講演を熱心に聴講し、また質問もしてくれていました。その縁もあってかお声がかかり、横浜での倍以上の時間をもらって喋りまくったのでしたが、実は穂積氏、西日本豪雨が発生した時には厚労本省水道課への課長補佐としての出向期間にあり、宇和島市水道局にもリエゾンとして一週間駐在していたのです。
同課へはこの災害後、お礼などで何回か訪問したのでしたが、思ったよりも少人数だったのには正直驚かされてしまいました。この体制で災害対応を含め非常に多くの難題に立ち向かっているのですから。それも、職員の高い能力が成せる技なのでしょう。そして穂積氏と同じ6名ほどの出向組課長補佐の力も加わることで、大きな力を発揮しているのだろうなと感じさせられたものです。
厚労本省リエゾンは穂積氏以外も1週間交代でした。3週目(3人目)に赴任して来たのがこの穂積氏です。同じ民間からの出向組で最初に赴任した江戸本補佐、水道事業体からの出向組で2週目の金井補佐と最終4週目の大池補佐、その方々同様被災地に負担を決してかけず、常に寄り添う姿勢で支援してもらえたことは一生忘れることができないでしょう。
なお、講演機会を作ってくれたこの穂積氏、当日は同社社長の出席を強く要請していたと後日明かしてくれました。
厚労本省のリエゾンとして災害対応の最前線を自らの目で見てきた穂積氏、誰よりも危機管理に対する重要性を身にしみて感じているのでしょう。会話やメールからそれは私に強く伝わってきます。そんな穂積氏は社長に対し、危機管理・BCPの重要性に対する理解を、人一倍強く持っているという印象を持っているようです。
災害対応時、私は市職員を中心とする多くの関係者に接してきました。そんな中、臨機応変・即応が重要だった当時の状況下にもかかわらず、次の一手が緩慢に感じられる者が一部に見受けられたのは非常に残念なことでした。どんな組織でも、内部で温度差が生じるのは半ば仕方ないことなのかもしれません。各々の持つ事情があるでしょうから。ただトップに危機管理意識が欠如していたら、その組織は瞬時に崩れ去ってしまうでしょう。
幸い宇和島市トップの市長は、その意識が非常に高かったと感じました。あの非常時、本庁災害対策本部会議でのトップダウンの矢継ぎ早な指示を見ながら、私は救われた気がしたものです。またそうでなければ、出先機関での私の独断による即断即決も許してくれなかったことでしょう。
さて、この水環境関連企業での講演当日、社長は緊急の用件が入り出席が叶わなかったということで、私は残念ながら面会が叶いませんでした。いずれ機会があれば、顔を合わせて話をしてみたいものです。
ー この記事の原文は水道産業新聞2021年(令和3年)1月25日版(第5469号)に掲載されたものです ー
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