翌7月18日、発災12日目の午前9時、市長が柿原水道本局へ現れました。水道事業に理解があり、また、今回の災害対応で当初から局職員のことを気にかけてくれていた熱き市長です。実はもっと早く来て皆に謝意を伝えたいと私に言っていましたが、その時水道局は混乱状態でした。そのため、それが少し収まってからの方が良いのではと私は感想を伝えていました。そんな私の意見を尊重し、節目の会議を終えた翌日を選んでくれたのです。
私を信用してくれ、逆に本当に信頼できる若き市長です。実は私の定年退職にあたり、とある職を任せたいので残ってくれないかとの身に余る打診をされたのでした。ただ、私には別の目標があります。そのことを伝え結局希望通り市を去ることとなりましたが、後ろ髪を引かれる思いであったのは言うまでもありません。
この時、市長にひとつのお願いをしました。年度当初人事で都市整備課下水道係に異動した保利係長を、緊急的措置で水道局の支援に来させてもらえないかと。この件については、何日も前から人事担当の総務課に申し入れて入れており、最終的には市長への直接の申し入れで了解を得てからというところまで漕ぎ着けていたのです。
市長には話が通っていたようで、二つ返事で了解してもらえました。これで水道技術管理者を兼任している給水課長仁村の負担が少し減ります。私は本庁災害対策本部会議への出席や、のちには記者発表・記者会見等で外に更に出ることとなっていくのですが、彼はずっと柿原水道本局内に籠り、各所との調整や指示を続けてくれています。もしも彼が倒れたら、前に向いて進んでいる災害対応は頓挫してしまう、そのことを私はずっと心配し調整を進めていたのでした。これで無事、ひとつの大きな役目を果たすことが出来ました。
その保利係長、奉職後ずっと水道一筋の技術屋でした。将来の水道局を背負って立つのは間違いないでしょうが、私には気がかりな部分がありました。
宇和島市は水道事業に事業管理者を置いていません。ただ大小問わず他の事業体と同様、市長部局とは一線を画した組織で、例えば市長部局の財政担当が直接経営に関与することはありません。財務システムも全く別物としているなど独自の方法で業務を進めている所もあり、半ばガラパゴス化した状態でもあります。
私の異動を契機に少しずつ軌道修正を進めていたのでしたが、課長の仁村と違い彼には水道局というガラパゴスの外で仕事をした経験が無く、その事が優秀な彼に対する唯一最大の心配事でした。このことは、仁村とも意見が一致しているところでした。
そのため私は、早めに市長部局を経験させたいと人事要望をしたところ、総務部とも思惑が一致して異動が実現したのです。本人が特に望んでいた異動ではなかったにせよ、そんな彼には水道局から出た途端、一時的にせよ戻ってきてもらうという〝便利〟な使い方で申し訳ない気持ちで一杯でしたが、この緊急時を乗り切るにはこれしかありません。彼には今後の本格的な災害復旧に向け、基幹的な役割を負ってもらうことになります。
ー この記事の原文は水道産業新聞2021年(令和3年)2月1日版(第5473号)に掲載されたものです ー
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