10時15分、市長と副市長から相次いで電話が入りました。この日の13時30分から市議会議長へ、続いて15時から、副議長や被災地が地元の議員などへ水道復旧の方針説明を行うことが決まっていたのでした。そのための事前打ち合わせです。
内容は準備する資料についての確認と、当面の予算執行を専決処分で行うということの確認です。専決については既に全員が認識を一致させていたのでしたが、詰めを誤らないよう念のための再確認でした。
この日の午前中、今治市より応急給水の支援隊が到着しました。私は午後の議長を始めとした議会説明に向けた資料調整に忙殺気味で、挨拶に行くことが叶いませんでしたが本当に感謝感謝です。
この時、今治市の水道部局は水道部と上下水道部に分かれていました。企業会計の水道部と、まだ企業会計に移行してない簡易水道事業・下水道事業を持つ上下水道部です。その両方の部長を兼任していたのが、私より歳がひとつ上の矢部さんです。
矢部さんは私と同時期に水道担当部局のトップとなり、日水協県支部の幹事会や総会、そして広島県呉市で開催された平成29年度の日水協中四国地方支部総会でも一緒した、非常に垣根が低く考え方が明快な素晴らしい人でした。この災害時も当初より宇和島の事を気にかけてくれ、いつでも支援に向かうと言ってくれていたのです。また、私が少し落ち着いた頃を見計らってわざわざ訪問してくれるなど、その年度末の定年退職まで私にとっては同士のような存在でした。
その後再任用制度によって別組織での再スタートを切った矢部さんに、私は挨拶に行く行くとは言いながらまだ実行できていません。でもいずれ必ず行きますヨ!
13時30分、市長室で市長・副市長と共に、清水市議会議長へ復旧の方針と予算に関する説明を行いました。議長には専決処分について若干引っかかるところがあったようでしたが、それを含め全て理解してもらえました。
清水議長の地元は吉田、その地元が大きな被害を受けているその時、当然ながら議長の様子も普通ではありませんでした。元々が結論を早めに引き出したいタイプの人なのでしたが、この時はそれが更に顕著なようでした。私は新市誕生時から酒の場を含めお付き合いし、他人行儀の仲では無かったはずでしたが、この時は目が血走り、誰に対しても余裕があまり無かったような印象を受けました。地元の被災は、関係する全ての人にダメージを与えているのです。
引き続き15時からは議会応接室で、副議長を始めとした関係議員への同様の説明です。副議長以外は被災地が地元の3議員、常任委員会の正副委員長、そして南予水道企業団議会の議員として宇和島市議会から選出されている3議員です。私の同級生1名を含むこの9名の市議会議員は、私にとっては議長同様全員が馴染みの深い方々です。
私はまず今回の混乱を詫び、そして自分で作成した図面や南予水道企業団から受領した資料を基に説明しました。通水時期の目安ももちろんのことです。思ったよりも通水時期が早いとの印象を持った議員もいるようで、全体的に高評価で好意的な雰囲気のまま説明は終わりです。この時も思ったのは、やはり誰とでも顔の見える関係になっておくべき、その事でした。
終了後帰局すると、追加発注を指示しておいた据え置き1㌧タンクが納入されていました。すぐさま応急給水所へ運ばれ、そして設置されたのは言うまでもありません。
16時10分、厚労本省からのリエゾン江戸本補佐から電話が入ります。代替浄水施設建設の工程表を本省に送っておいて欲しいとのことです。国によるボトルネック解消に向けた支援が本格化しているようです。
そしてその30分後、今度は仙台市水道局の桜島次長からの電話です。先遣隊の桜島次長と皆野課長は、明日新たに到着する2名の交代要員にあとを任せ帰路に就くとのことでした。厚労本省からのリエゾン同様、被災地への派遣は1週間交代になっているようです。
ー この記事の原文は水道産業新聞2021年(令和3年)2月4日版(第5474号)に掲載されたものです ー
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