柿原水道本局へ帰局すると、報道機関からの問合せ・確認の電話が入り始めました。中には南予水道企業団に電話が繋がらないことから、代わりに別組織の私を指名してきたものもあり、それらに仁村と手分けして対応していたのでした。
そんな折、私の部屋の入口に松山市公営企業局の水道技術管理者を兼任している湯野副部長の顔が、いつも通りの人の良さそうな笑顔で突然現れたのです。
松山市公営企業局の多くの人と同様、顔の見える関係の湯野副部長です。わざわざ様子を見に来てくれたのか、と部屋へ迎え入れるために入口に行くと、2階フロアの一番奥にある私の部屋からフロア出入り口に続く廊下は、見覚えのある顔とともにたくさんの現場服を纏った多くの人で溢れています。いったい何が起きたのか、と私は疲れた頭で思いました。ふっと一番近くに視線を移すと、そこには松山市公営企業局の平松事業管理者と武市部長の笑顔があります。
湯野副部長は私に教えてくれました。香川県広域水道企業団を含む四国四県の日水協県支部長都市から、水道技術管理者と多くの職員が様子を見に来たことを。この多くの方々を前に私の頭は混乱し、何をどうして良いのか思考回路が遮断されました。名刺交換をしながら、ただただお礼を言うのが精いっぱいの事でした。覚えているのは、四国の仲間で宇和島をどうにか助けなければならないと、水道技術管理者同士で連絡をし合っていたこと。そのためにまず全員で状況の把握に現地に行ってみようということになったという言葉、そのくらいです。
ここで私は来訪の方々に対し不思議な行動を取ったのです。非常識ともいえるような。
普通ならば、私の部屋で状況説明などを含めて応接し、そして今後の対応に対するアドバイスをもらう、そうなるはずです。全権を委任している給水支援の指揮所となっている会議室の様子を一行が見に行くとなったとき、何と、私は一言来局へのお礼を述べ一人局長室へ戻っていったのでした。
何がそうさせたのかよくわかりません。報道機関からの電話に備えようとしたのでしょうか。確かに私のメモ帳には14時40分に報道対応をしたという記録が記されています。ただ、それまでの空白の時間何をしていたのか、記憶も記録も残っていません。
さて、そんな私は問い合わせ電話への対応を仁村・鴨脇両課長に任せ、この日も18時からの本庁災害対策本部会議へ出席し、11時に行った報道発表の内容を資料に基づいて出席者に説明しました。
小さいながら感嘆の声が聞こえてくる中、滝本消防長からは我々にとって勇気が出る情報が発表されました。昨日の本部会議で消防の3・5㌧給水車が空いたと報告があったのでしたが、それを使って病院や介護施設への給水を開始するとの頼もしい報告です。いざという時にはやはり消防は頼りになります。滝本消防長に感謝!
ー この記事の原文は水道産業新聞2021年(令和3年)2月22日版(第5478号)に掲載されたものです ー
《無断転載はお断りいたします。》
*登場する人物や組織に対する私の意見・感想は、個々の評価を意図したものではありません。また、臨場感を伴わせて全容をお伝えするために人名を記載していますが、文面に対する人それぞれの捉え方に配慮し全て仮名としています。ご理解のほどよろしくお願いいたします。
コメント