二、(3)地元紙

第三章 一日でも早く

 

 それから間もなくの13時過ぎ、三間地域の代替浄水施設建設現場となる中山池自然公園への到着です。真夏の昼過ぎ、谷あいの地形だった先ほどの吉田と違い空が広い三間地域では、気温の上昇をはっきりと体感することができました。

 この公園内の施工現場横がこの日の報道発表の会場です。駐車場から会場までの、歩いて数分の道中で私は気づきました。ここで知事から質問があった場合に、誰が説明するかを決めていなかったことに。既に知事と市長は報道関係者に取り囲まれながら、私の前方を発表会場方面へ歩いて向かっています。今更坂東課長にレクチャーなどできないし、南予水道企業団の二人ははるか後方にいる。私はとっさに歩調を早め報道関係者を追い越し知事の後ろへ移動しました。

 その時でした、知事が辺りを見回して振り返り、施設に関する質問を誰へということなく投げかけたのは。そこには坂東課長も南予水道企業団の二人もいません。回答可能なのは私だけです。確認のような質問に対し、私は施工現場方向に右手人差し指を向けて説明しました。この瞬間を待っていたかのように前方からシャッターを切ったのが、地元紙地元紙の石戸記者でした。

 翌日の地元紙朝刊1面に掲載された、代替浄水施設の工期短縮の記事に添えられたカットは、報道発表をしている市長や知事の姿ではなく、報道関係者に囲まれた中で、宇和島市水道局の鮮やかな水色の現場服を纏った私が、知事・市長に現場状況を説明しているカラー写真だったのです。

 宇和島地域が担当の石戸記者は、読者目線の記事・写真が印象的で、しかも、きちんと裏を取る正確な報道を心掛けている若者と、以前より私は感心していました。この災害においても、被災地の人たちに寄り添い勇気づける記事・写真を紙面に著し続けていましたが、それは我々宇和島市の職員に対しても同様です。この時の記事を含め、節目節目の素晴らしい記事に私も助けられたものです。

 後日、石戸記者に、これら取材姿勢についての私の持つ印象を伝えたところ、非常に満足げに彼は微笑んだのでしたが、意識してそのような取材をしていたということが、その表情から読み取れました。

 既に転勤で宇和島地域から離れた石戸記者、これからもずっと同じ姿勢を貫いていって欲しいものです。

 さて13時10分、暑い炎天下での市長と知事による報道発表が始まりました。通水開始時期が8月下旬から上旬へと大幅に短縮されことに、この日、激甚災害に指定されたという情報も加えられて。

 それが終わり、細かな質問を受ける会見に臨むため、私と南予水道企業団の二人は会場となる小さな管理事務所へと場所を移しました。副市長が前回会見と同様、狭い部屋の隅に控えています。室内は事前にエアコンが入れられていたようですが、蒸し風呂に近い状況です。それまで被っていたヘルメットを脱ぎ、滝のように流れる汗を私はタオルで拭きます。

 13時25分頃から始まった会見ではまず、工期が大幅に短縮されたのは官民挙げての異例の体制が確立されたおかげだったことや、通水開始後の飲用可能時期は宇和島市水道局からアナウンスされることなど、補足の説明を竹本事務局長が行い、そしてその後は質疑応答です。我々は質問が尽きるまで返答していきました。一つ一つ丁寧に、相手が理解してくれるまで。

 どれだけの時間それが続いたのかよく覚えていません。ただ、報道関係者が取材を満足して終えてくれたとの確信を、帰路についた私は持っていました。それがあながち間違えではなかったのは、帰局してから私が受けた電話での問い合わせが、南予水道企業団担当分を含めて3件だけだったという事実が物語っています。

ー この記事の原文は水道産業新聞2021年(令和3年)5月10日版(第5494号)に掲載されたものです ー


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