二、(9)市長現地へ

第一章 浄水場喪失

 午前9時、発災2日目最初の本庁災害対策本部会議が始まりました。

 私は昨夕から今朝までの状況報告を行い、また、新たな道路情報を得ました。それによると、松山から内子までは高速道路が通行可能だがそこから大洲市内の一区間分は、一般国道のみ通行可能。それを過ぎると再び高速道路を通って宇和島に入ることができるが、大洲市内の一般国道では大渋滞が発生しているということです。

 また、相変わらず吉田地域へ入るルートは、被災している狭い黒の瀬峠経由だけということです。それまで完全に孤立していると見られていた吉田・玉津地区へは、高速道路でお隣西予市の西予宇和インターまで行き、そこから西予市内をカーブが連続する県道45号野福峠経由で進めば、大きな迂回にはなるものの入ることが可能という、新たな情報も入りました。

 本庁から柿原水道本局へ帰った私はテレビのニュースで、県外、特に広島県と岡山県の被害状況を知りました。両県とも甚大な被害が出ており、それに伴い大規模な断水が各地で発生しているようです。

 私がその全貌をつかみかけていた時、市長は災害対策本部でつかんだ情報をもとに、早速玉津地区へ向かっていたのでした。当時まだ48歳、しかも190㌢を優に超えるパワー溢れる市長です。いても立ってもいられなかったのでしょう。単身自らの運転で向かったと聞いています。

 正午過ぎ、そんな市長から私の携帯へ直接電話が入ってきました。

 玉津へ入ったこと。玉津の人たちは乾ききって悲惨・危険な状況にあること。応急給水所の開設が急務なこと。それら生の情報を身動きの取れない我々に代わりつかんでもらいました。最高指揮官である市長が指揮所の本庁舎を離れることに対し批判の声もあったようですが、窮地に陥っている市民にとっては、最も勇気づけられる現地視察であったことは間違いないでしょう。

 ただ市長に対し、私は応急給水所をすぐに開設するとは答えられませんでした。充水を行うことのできる加圧給水車が1台のみという状況でしたから。

 市長は状況を察してくれました。そして、「状況は知らせたのであとは任せる」とも。私は思いました。『この非常時、市長がこの人で良かった』と。

ー この記事の原文は水道産業新聞2020年(令和2年)10月1日版(第5445号)に掲載されたものです ー


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