三、(1)松山市公営企業局(二)~初動とNEXCO西日本の配慮~

第一章 浄水場喪失

 さて少し前、市長が玉津方面へ向かっている頃、これまで災害対策本部会議で得た情報をもとに、私は頭の中にひとつの仮定を立てていたのでした。その仮定とは、大洲市街で大渋滞が発生しているという情報が届いているにもかかわらず、増派の自衛隊車両が陸路で次々と宇和島に到着している。このスピードを考えると、高速道路は特殊車両でなくとも、通行自体可能なのではないかというものです。

 11時、NEXCO西日本に私は電話を入れました。断水区域の窮状を救うために、松山市公営企業局が間もなく宇和島へ向かってくれることになっていることを伝え、渋滞を回避し一刻も早く到着できるよう、給水車が通ることはできないかと直談判したのです。

 NEXCO西日本の担当者は私に言いました。「わかりました。通行車両のナンバーと、進入するインターチェンジを知らせてください。そうすれば通行ができるよう手配します」と。電話での会話を続けながら、私は『よしっ!』と心の中で叫びました。

 なお、高速道路の被害状況について私が知ったのはかなりあとになってからのことでした。法面などを含めた道路機能そのものがやられたのではなく、大洲料金所が隣接する肱川の大氾濫で水没したため、料金システムが使えなくなったとのことでした。

 早速、松山市公営企業局へこのことを電話で伝えると、その後まず12時45分に折り返しの電話が入ってきました。先遣隊の公用車1台が伊予インターチェンジに向かったと。私はナンバーを聞きNEXCO西日本へ即時電話を入れました。

 その後13時7分、松山市と委託会社の給水車2台が、続いて13時20分には松山市の給水車3台が、それぞれ松山インターチェンジへ向かったとの連絡です。その都度私は、自らNEXCO西日本へ電話を入れたのでした。大混乱の宇和島市水道局、このような連絡を専門で担当する職員を置く余裕はありませんでした。そんな中での情報収集・処理・解析・伝達、この災害でそれらを局長の私が行っていたことはある意味大失態と捉えられるかもしれません。ただ、局長という肩書が無くともNEXCO西日本が即時に動いてくれたか、またその後のことですが報道各社は私が伝えることを信用してくれたか…、と考えれば、非常時の組織トップの役目は、もしかしたらそのあたりにあるのかもしれないと、かなりあとになって思ってみたのでした。

 高速道路の威力はやはり大きく、柿原水道本局に最初の給水車が到着したのは、電話を受けてから2時間経たない14時30分のことです。そしてその30分後には、ついに合計5台の給水車が支援に駆け付けてくれたのでした。その直後平松管理者から勇気づけられる電話が入りました。翌9日中には四国内から8台の給水車が派遣される見込であると。また新居浜市からは、両市の市長同士の電話連絡によって、0・5立方㍍タンク搭載のトラックによる独自給水支援を、9日中には行える見込みであるとの知らせも入りました。

 『終わった』と思わされた丸山配水区の大規模漏水はその後機器エラーであったことが判明し、最悪の事態を回避できたと胸をなでおろしていたのでしたが、これに続いた給水支援の朗報、本当に勇気づけられたのを今でも鮮明に覚えています。

ー この記事の原文は水道産業新聞2020年(令和2年)10月5日版(第5446号)に掲載されたものです ー


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