話を7月10日の午後15時過ぎに戻します。
災害対策本部会議への出席を終え、私は市長室へ向かいました。15時15分からの南予水道企業団関連協議へ同席するためです。南予水道企業団が発災翌日から検討を進めていた、壊滅的被害を受けた吉田浄水場に代わる浄水場の建設について、その整備方針を決める協議です。
私はどちらかというとオブザーバー的な立ち位置でしたが、この検討には日水協本部からの直接の支援要請を受けた横浜市水道局や、大型可搬式浄水装置というあまり他では例の無い技術を持つ民間企業、そして上下水道関連コンサルタント会社が発災2日目から既に加わっていたようです。
我々宇和島市水道局はその頃、いかに応急給水体制を整えていくかという目の前の課題に向き合っていたため、この検討の初期には加わっていません。そのため、具体的にどのような検討がなされていたのかについてはわかりませんが、半ば運転と維持管理に特化していた南予水道企業団という組織にとって、復旧方法など発案できる訳もなく、その助言を含めた全てを横浜市水道局という日本有数の技術力を持った組織に委ねていたことは容易に想像がつきます。
なお、南予水道企業団のトップは宇和島市長が併任していますが、実質的な現場責任者の事務局長はプロパー職員または宇和島市からの出向者が歴代着任しています。この時は宇和島市からの出向者で給水課長の仁村の同級生竹本が着任中でした。竹本は事務職、技術に関する知識は低いものでしたが、このあと彼がいなければという大きな働きをすることになるのです。
さて、市長室での協議で正式に復旧の方針が決まりました。吉田地域・三間地域にそれぞれ1カ所ずつ大型可搬式浄水装置を複数基使用した代替浄水施設を設けることによって、両地区への命の水を送ろうとするものです。
計画では調達できる大型浄水装置を全国から集め、まずは必要水量の6~7割程度の能力で送水を開始する。そして続いて行う2期工事で設備を増強し、全水量を賄うというものでした。
問題点は山ほどありましたが、その中でも最も大きなものは水源をどうするかということでした。
吉田地域の候補地は、被災した吉田浄水場からひと谷下った県道沿いにある地元所有の広場で、地元に打診した結果借用できそうとのこと。しかも野村ダムからの南予用水原水を宇和島地域など南方面に送る幹線導水管がその広場横を通っていますので、そこから分岐させれば幸い被災前と同じ原水が使えます。
本来、南予水道企業団の浄水場からは宇和島市水道局が送配水を担っていますが、計画地には導水管同様送水管も並行に布設されています。そのため、被災した吉田浄水場との高低差分の水圧をかけてその送水管に接続すれば、システムは既存のものを使うことができます。
ー この記事の原文は水道産業新聞2020年(令和2年)10月29日版(第5451号)に掲載されたものです ー
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