発災6日目、7月12日の午前9時50分、局長室にいた私のパソコンに、友人の株式会社JR四国ホテルズ社長から突然1通のメールが入りました。
中学の時には、クラスが違えどよく一緒に遊んでいた仲です。私が今でも「善」「善ちゃん」などと呼ぶ彼は、頭脳明晰・成績優秀のいわゆる〝天才〟で人柄も申し分ない男です。私の事を、やはり当時のあだな「ゴリ」「ゴリさん」と呼ぶ彼は、旧国鉄入社後に国鉄民営化に伴ってJR四国に移り、そこでは常務取締役まで務めました。その頃ちょうどJR宇和島駅前の再整備事業を担当していた私は、高松のJR四国本社を訪ねる度に彼の部屋に顔を出していたものです。
ここで、少しだけこの事業について記そうと思います。
この事業は、JR宇和島駅周辺の公共空地等を有効活用し、中心市街地の活性化を図ろうとしたもので、数十年前から手を変え品を変え、浮かんでは消えを繰り返してきたのでしたが、前市長の強い想いで一気に事業化を目指すこととなり、20年近く担当してきた公園事業をやり終えた私が休むことなくその担当を命じられたのです。
それまでは、民間活力を活用した都市計画事業が目論まれていました。しかし、商工会議所の撤退や、それ以上に、公的機関が付近へ移転したことによる権利者数減少という状況変化が加わっています。私は区画整理等の多者協議事業ではなく2者協議の組み合わせが現実的と判断して、十数者の権利者と協議・交渉を始めたのです。その中で最大の権利者が青空駐車場を多く持つJR四国であり、JR四国ホテルズ傘下のホテルクレメント宇和島だったのです。
四国旅客鉄道株式会社が正式社名の同社、その前身が国鉄なのは言うまでもありません。これまで同社と向き合った経験のある当市職員からは、役所より役所らしいと聞かされていました。聞いていながらわかっていながら始まってしまえば突き進んでしまう私、そんな私が開始早々からすぐにそのことを思い知ることとなったのです。
その件の詳細はさておき、足踏みしていた当初の数年でわかったことは、協議・交渉の第一歩は常に相手に向き合いながら根気よく付き合っていくこと。そして、どうしても風が吹かない時には、吹き始めるまで待つという事でした。
先方の人事異動がその風が吹き初めた時でした。そこからは、私特有の調子の良さを前面に出しながら、何度も何度も松山の愛媛企画部や高松の本社を訪ねて顔の見える関係を作っていきます。結果、ある大学の先生に「このレベルの事業は、規模の大きな都市でもなかなか実現が難しいでしょう」とも言われたこの事業を、水道局への異動前に、何とか着工へのレールに乗せることができたのでした。
善ちゃんは直接の担当ではないため、協議や交渉の相手ではなかったのでしたが、ここは善ちゃんの幼馴染みという〝大きな肩書〟が、もしかしたらモノを言ったのかもしれません。私が彼に会いに行くのに、そんな意図など全くありませんでしたが。
さて善ちゃんの用件に戻ります。令和2年(2020年)11月の執筆時、JR四国関連別会社の社長となった彼からは、お見舞いとともに申し出がひとつありました。傘下ホテルのホテルクレメント宇和島が何かお手伝いできることが無いかという、本当にありがたい申し出だったのです。
午前11時から始まった本庁災害対策本部会議では、現在の応急給水所開設状況を私が作成した図面を基に説明し、また、先ほどのホテルクレメント宇和島の件についても報告しました。
後日、断水地区の子供を中心とした市民がホテルクレメント宇和島に招待され、入浴と食事を提供されたと知りましたが、この日始まった水産業関係者による生活雑用水の運搬などと共に宇和島市内外からの支援の輪が広がってきました。
ー この記事の原文は水道産業新聞2020年(令和2年)11月16日版(第5455号)に掲載されたものです ー
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