一、(1)工事開始

第三章 一日でも早く

 発災15日目の7月21日土曜日午前8時、給水課の植光課長補佐から報告です。三間地域の代替浄水施設と既設送水管を結ぶ仮設送水管布設に着手したと。

 この日は舗装版切断の1業者だけでしたが、翌日から土木系の6業者が一気に加わり、1・3㌔の区間を分割分担した市道掘削が一斉に始まりました。そして、実質僅か3日で管布設と埋め戻しまでを終えたのです。この電光石火の布設工事が、順次始まる代替浄水施設の整備を含め、工事の開始を地元に告げる一つのデモンストレーションとなり、地域を勇気づける役目を果たしたのでした。

 このお膳立てをしたのが、私と同い年の植光です。私は施工業者の不足を心配し、その確保を彼に命じていました。なぜ彼なのか、それは水道局へ異動するまでの私と同様、建設課や水産課といった事業担当課において施工業者と付き合う機会が非常に多かったからです。こういう時は顔の見える関係を最大限活用しなければなりません。案の定、彼は段取り役となった直後から、旧知の施工業者を手始めに電話をかけまくり、あっという間に現場入りの確約を取ったのです。私の読みは正しかった。

 なお、布設したのはステンレス製の仮設管ですので、施工スピードを重視するならば地下埋設する必要は無く、そのため私は露出での配管をイメージしていたのでした。ただ、仮設とは言ってもかなり長期間にわたってそれを使用しなければならなくなりそうな事情から、給水課長の仁村が安全性等を考慮して埋設を私に進言し、そして私は了承したのです。そのことが、結果的に想定外の効果をもたらせることとなりました。

 その後9時、仁村が問題を抱えたような顔で部屋に来ました。話を聞くとやはりそのようです。彼は喜怒哀楽の状態が顔でわかります。

 自己水源によって断水が解消した吉田法花津配水区で流量過多になっているとのことで、このままでは再び断水を余儀なくされる恐れが出てきたというのです。家の清掃など、これまで出来なかったことのために、一斉に水を使っているのでしょう。心情はわかりますが、推移によっては断水せざるを得ないという本音も入れ、節水依頼の放送を法花津配水区(玉津地区)に流してもらう事にしました。悩んでいても仕方ありません。

 なおこの1時間少々ののち、同地区在住の川本市議がそれまでの断水解消に向けた水道局の作業へのお礼に来局したのですが、ついでの用事で市議にその件の周知をお願いしたのは言うまでもありません。なお川本市議は被災当初から、何度か私や仁村へ原水濁度の情報などについて連絡を入れていました。そして早く何とかならないかとも。何とかできるのならばそうしたいのは山々でしたが、それが叶わないのが災害現場です。非常に苦しい状況であるからこそ、頭ではどうにもできないと理解していても言わざるを得ない、そんな川本市議の気持ち・状態は痛いほどわかりましたが、逆にこちらも実情を伝えながら待ってもらうしか無かったのです。

 川本市議は、柿原水道本局2階フロアにいた職員に、涙を流しながらお礼を言い続けました。私はその姿を見ながら水道局の対応は十分だっただろうかと自問自答しましたが、やはり、どうやってもこれだけの事しか出来なかったという答えしか出ませんでした。

 そのほか吉田地域では、長谷水源から人口が集中する北小路配水区への融通試験を行っていました。ただ漏水箇所が多く発見されたという事で、こちらは修繕を進めて3日後に再試験を実施する方針へ調整です。

 この災害では多くの箇所で道路も被災しています。

 被災した吉田浄水場から三間地域への送水管を布設していた市道も同様で、数十㍍の区間で道路が流失してしまっています。ここが復旧したならば、送水管を一部仮設することで野村原水を三間地域方面へ送るための導水管に流用することができるのですが、市建設部長の香堂に9時55分その事を確認すると、予想通り復旧の見通しは全く立たないとの回答です。残念ですが、他の方法を南予水道企業団に考えてもらうしか無いようです。

ー この記事の原文は水道産業新聞2021年(令和3年)3月4日版(第5481号)に掲載されたものです ー


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