二、(1)七月二十四日

第三章 一日でも早く

 発災18日目の7月24日火曜日です。この頃になると、宇和島市水道局の幹部職員4人を、早番と遅番の2グループに分けていました。早番は朝7時から20時30分、遅番は8時30分から22時00分として、朝早くと夜遅くの緊急事態・報道対応に備えつつも、長期戦に向けた幹部職員の健康維持を図ろうとしたのです。早番は仁村・鴨脇の両課長、そして遅番は私と植光課長補佐でした。

 この日朝一番、とは言っても通常の始業時刻8時30分ですが、前日夜の市長からの電話の件を私は仁村に伝えました。仁村も私同様複雑な表情ながら、仕方ないとの感想を私に伝えます。

 そして、この案件にはそこそこマンパワーをかけたけれど、無駄になったという事も。代替浄水施設からの通水スケジュールが前倒しの見込み通りとなれば、8月10日には断水が解消されている〝はず〟ですので。

 この日7月24日は、例年ならば宇和島が最も熱い日です。昔は四国三大祭りの一つだった和霊大祭・うわじま牛鬼祭りの最終日が、本来はこの日でしたので。ちなみに現在の四国三大祭りは、阿波踊り(徳島県徳島市)・よさこい祭り(高知県高知市)は動員数断トツで変わらないものの、もう一つは長らく新居浜太鼓祭り(愛媛県新居浜市)となっているようです。一参加者の私にとっては特に意味の無いことですが。

 この最も熱い日は、同時に一年の中で私が最も好きだった日でした。ただ、この年は当然ながら中止となってしまいます。

 例年、祭り参加者へ与えられる職務の免除を放棄してわざわざ休暇を取り、できるだけ縛りから自分を開放した私は、朝から皆と酒を飲んで牛鬼を振り回し、夕方までの空き時間にはメンバーを変えて酒を飲み、そして走り込みで松明を両手に掲げて須賀川になだれ込む、というふうに、朝から晩まで騒ぎまくっていたのです。祭りの説明は割愛しますが、祭り明けは声がかすれて出にくくなる、そんな大騒ぎを、一年に一回だけ白昼堂々と人前でやっても構わない、そんな夢のような一日が私は本当に大好きでした。

 新型コロナ対策に追われる令和2年(2020年)も祭りは中止となりましたが、この二つの年に挟まれた年、定年の年を迎えた私は最後の祭りを楽しく無事に騒ぎ終え、心残り無く祭りから引退することができたのでした。このことは、私の人生にとって本当に幸運なことでした。前後どちらかに一年ずれていたら、こんな引退は叶いませんでしたので。

 さて、鬼北町の用件を聞き終えた仁村は、昨晩の吉田北小路配水区での試験通水の結果を私に伝えました。同配水区では漏水が見られなかったこと。同配水区から終端知永配水区への展開を試みたものの、配水池への知永加圧ポンプ場の圧がかからなかったこと。そのため断念したと。

 原因は特定できなかったのでしたが、途中には低層ながら多くのビルがあることから、その受水槽に水を取られて圧が低下した、あるいはエアをかんでしまった、そのどちらかであろうというのが仁村の見解でした。

 ただ、あとになってわかったのでしたが、同ポンプ場から配水池までの送水管が破損していて、そこからの漏水が原因だったのです。代替浄水施設からの通水前に、このような試験通水によって漏水箇所を特定していくことができたのは、現場の配管状況を熟知した職員が地の利を活かし、効率的に仮設融通管を布設していけたことに尽きるでしょう。

 現場力が最後はものを言います。

ー この記事の原文は水道産業新聞2021年(令和3年)4月19日版(第5491号)に掲載されたものです ー


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