三、(5)仙台市(八)~一応の区切りを迎え~

第三章 一日でも早く

 

 発災27日目の8月2日木曜日です。午前9時5分、仙台に帰還した北橋水道事業管理者から電話が入りました。吉田・三間両地域への通水開始をもって、支援のための派遣を一応の区切りとするとのことです。進捗については逐一駐在中の木場課長が連絡を入れてくれていたのでしょう。先が見えただけに可能となったこの連絡は、私にとっても気持ちを切り替える一区切りとなりました。『ああ、もう少しだ』との。

 北橋管理者からは「派遣が終わっても、今後も仙台市水道局は遠くから長期的な支援を続けていく。また、再度の派遣要請があれば即応するつもりだ」との心強い言葉ももらい、最大限の謝意を伝え私は電話を置きました。身体中に幸福感を感じながら。

 あとで聞いた話では、日水協本部から仙台市水道局に対し度々の連絡が入っていたようです。日水協ルールから外れた独自判断による宇和島市への派遣について、その是非が問われていたとのことです。桜島次長と違いこの北橋管理者は、私同様に水道経験を持たないで事業管理者兼局長に就任しました。そのためか、困っている親戚に手を差し伸べて何が悪いとの思いで、独自の支援を継続し続けてくれたのでした。

 このようなトップがいてくれたからこそ、雑音が私に伝わってきた時も、桜島次長は「大丈夫!」の一言で私の思考回路をクリアにしてくれたのかもしれません。また、水道支援が市長以下仙台市の「総意」になったのも、北橋管理者が尽力してくれたのかもしれません。

ー この記事の原文は水道産業新聞2021年(令和3年)7月5日版(第5509号)に掲載されたものです ー


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