この日の開栓式でも短時間だった報道陣への公式質疑時間が終わり、また、その後のぶら下がり取材を終えた私は、13時45分、発災後初めて吉田支所を訪れました。水を届けるまでは近づかないと心に決めていた吉田支所です。
支所の玄関前には日水協による応急給水所が展開されていました。市道を隔てた反対側の広場には、陸上自衛隊による仮設浴場も見えます。
私は浸水による土砂の痕跡が色濃く残る支所に入り、2階に上がって山上支所長を探しました。私よりも1つ年上で、その年度末に定年となる山上支所長は電話中でした。近くにはこの災害で支所勤務を兼任することになった、これも1つ年上の中松議会事務局長が座っています。ここ吉田が地元の中松事務局長に開栓式のことを伝え不便を強いたことを詫びると、逆にねぎらいの言葉が返ってきました。ありがたいことです。
電話を終えた山上支所長とも同様のやり取りです。この災害で最も大変な思いをしたのは、彼だったのかもしれません。被災現場最前線の責任者として住民の矢面に幾度も立ったことでしょう。当然それは水道被害だけでなく、あらゆる被害への対応として。その苦労を思うと私など足元にも及びません。
ー この記事の原文は水道産業新聞2021年(令和3年)9月16日版(第5525号)に掲載されたものです ー
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