五、(6)保利係長

第三章 一日でも早く

 

 この保利係長は私が定年退職したのち、あの時、遅い時間にもかかわらず私が帰宅せずに自分たちの帰局を待ち、そしてこの行き詰った事態打開のため、少なからず役目を果たしてくれるだろうと思っていたと明かしてくれました。ただ、水道の知識に乏しい私に対し、技術的な期待をしていた訳ではなかったようです。この読みの背景には、私の協議の進め方についての理解があったようです。

 この頃の私は、打合せ・協議・交渉などの場ほとんどで、本題とは全く関係のない雑談から入っていっていました。しかもそれがダラダラと続くこともありました。一見無駄に思えるこの雑談ですが、相手の精神状態や体調などを読み取りながら俯瞰的な立ち位置で本題の切り口を探していくための、私にとって非常に大切な〝儀式〟のようなものだったのです。

 この夜私は、自身が協議の主役でないことは自覚していました。そのため雑談ジャブを少しだけ繰り出したのちは発言を控えたのでしたが、私が横に立っていることだけで仁村の緊張度は低くなっていたように見えました。保利の思惑からは少し逸れたかもしれませんが、間接的に場全体を和らげる効果があったのかもしれません。

 このように、私と給水課長の仁村、あるいは多くの場面での業務課長鴨脇を加えた3名のコンビネーションによって、当時の宇和島市水道局中枢部は大きな力を生んでいたと私は思っています。そして保利も既にその時、そのことに気づいていたようでした。

 なおこの翌年度、彼はわずか1年で水道局へ戻ってくることになります。そして更に1年後の私の退職直後には、水道技術管理者を兼務する課長補佐へその役目を変えていきます。入庁以来水道局から出たことがなかった彼には、外の世界でもう少し経験してもらい、そして視野がより広い幹部として戻ってもらいたかったのでしたが、そんな私や仁村の思いは、この災害によって優先度を下げざるを得なくなってしまったのです。ただ翻弄された立場の保利からは、外の空気を1年でも吸えたのは自身にとって糧となったとの感想をのちに聞かされ、私は小さな安堵感を抱いたのでした。

 この件を書き進めていて、私が都市整備課長や水道局長に在任中、何度も何度も臨んだ市長協議の場面を思い出しました。

 私より9歳上の前市長は記憶力が抜群だったこともあり、自分の考えを協議の前面に押し出す傾向が強く、そのため私は協議に臨む際にはまず前市長の精神状態を雑談ジャブ攻撃で読み、そして本題の切り出し方を探っていたのでした。その甲斐あってか、大半において協議は比較的穏やかに進んだのでした。他部局から漏れ聞こえる〝難航〟の噂と違って。

 一方で今の市長は私より11歳若いのですが、常に相手の立場に立った言動を心がけ、また、全員が自身よりかなり年上となる市幹部のことも敬ってくれているように私には映っていました。私がそんな市長との協議に臨むため市長室に入った際には、いつも市長は我々が着座する前から雑談で場の空気を和ませてくれていたのです。

 あれ?今の今まで気付きませんでした。いつの間にか、私は雑談によって心を探られていたようです。いやー攻守逆転、降参です。

ー この記事の原文は水道産業新聞2021年(令和3年)10月21日版(第5533号)に掲載されたものです ー


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