吉田全域で飲用が可能となった翌8月11日の土曜日、私の出勤までに、早朝から小規模な濁水の通報が吉田地域で2件入っていました。
そのうち立間新屋敷地区のものは、現場で迅速に処理し既に解決済みでした。もう1件の高齢者施設は受水槽内の汚れが原因だったため、訪問した職員が清掃を手助けしてこちらも解決済みとのことです。素早い対応で、危機の芽を摘んでくれている職員達に感謝!
この日は応急給水体制の縮小が続きました。
午前9時、三宮水産課長から電話です。生活用水供給拠点は、必要に応じて再開設する体制を維持しつつも閉鎖していましたが、昨晩の進展を反映させ、確保している給水用車両返却を含めた体制の解除を行いたい旨の打診でした。私は即答で了解しました。
そしてこの日の午前中には、四国各地からの日水協応急給水支援のうち、愛媛県支部以外の部隊が任務を終了し引き上げました。指揮を執ってくれている松山市の日吉課長が知らせてくれましたので、別棟の浄水棟2階に設置してある応急給水本部に私は向かい、帰路に就く前の面々にお礼を述べました。ただ、気の利いた言葉が口から出ません。松山市公営企業局に指揮を任せていたので、そこにいるほぼ全員と顔の見える関係でなかったのが影響したのかもしれません。そのこと自体仕方ないとは言え、それでも心に響く言葉が出なかった自身が情けない、そう思ったのを今でもあの時の光景とともに覚えています。本当に心のこもったものならば極々シンプルなものになるのでしょうが、このような場では物足りない。でも言葉が多ければ良いものでもない。〝挨拶〟というものは本当に難しいものです。
そして正午、吉田地域では宇和島市吉田支所以外の応急給水所が全て閉鎖され、体制は一気に半分以下へと縮小されました。
またこの数日後には、市内中心部の仮設物資拠点となっていたJAえひめ南宇和島共選場に一時保管されていた6㍑タンク全てが、移送時と同様宅配便関連企業の手で郊外の三浦配水池に返送されました。また一つ支援が終わりを迎えました。
そんな状況で心配だったのは、応急給水所の運営を担う業務課職員たちでした。暑い屋外での用務は『もうすぐ終わる』と誰もが思っていたことでしょう。見えていたゴールテープが遠のいたことで心身ともにダメージが及ばないよう、鴨脇課長に上手くみんなを導いてもらうことを願うのみです。
ー この記事の原文は水道産業新聞2021年(令和3年)12月6日版(第5544号)に掲載されたものです ー
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