03) カールスルーエ編(1989年版 西ドイツの街並み)

過去旅のご紹介

*** 7 Mar.1989 ***

 カールスルーエ・・・、何となく町の名前の響きが格好よかっただけで、2番目の訪問先に決めましたが、ここはシュバルツバルト(黒い森)の入り口です。
 フランクフルトからDBの特急インターシティー(IC)で到着です。
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 駅を出て正面にインフォメーションがありました。
 スマホはもちろんのことインターネットも無い当時、ほとんどの街には駅前にこのインフォメーションがあり、そこが情報収集の起点となっていました。
 まだ夕方まではずいぶん余裕があったのですが、右も左もわからない中でまずはその日の宿の確保を最優先にしました。
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 インフォメーションでフリーマップとホテルリストをもらって、安くて良さそうな宿をマップで確かめながら、バックパック背負って歩いて行きます。
 とりあえず1軒目に着いたのですが、そこはどう見てもアパートの玄関みたいな感じです。
 そこはゲストハウス(ガストホフ)かB&Bだったのでしょうが、当時はそんな宿は知識に持ち合わせていません。
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 ドアには鍵が掛かっていてどうしたものかと暫し悩んでいましたが、意を決して脇にあったインターフォンのボタンを押しました。
 ドイツ語での相手からの問いかけに対し何と答えたか覚えていませんが、オートロックを開けてもらえたのでドアを開けて中に入りました。
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 そこには小さいフロント(カウンター)があって、その向こうにはこの家(宿)の主人が座っていました。1泊目の宿は日本で予約しておいたので別として、外国で宿泊の交渉をするのはもちろん生まれて初めてです。
 何と言って良いのかよく考えずに主人の前に進んでいったのですが、とりあえず「Can I stay tonight?」と声が出ていました。
 何とか発した英語は通じたみたいでしたが、主人から返ってきた言葉は英語ですがよくわかりません。でもジェスチャーなどから、部屋はいっぱいだとの雰囲気が伝わってきたのでした。
 あきらめて立ち去ろうとしていたところを呼び止められました。ゆっくり話してもらって良く聞いていると、どうやら別の宿を紹介してくれるみたいです。
 主人はその宿の名前をメモしてくれて私に渡してくれました。ドイツ人に対して少々距離感を感じ始めていた私にとって、その一つの出来事はドイツ人との距離を一気に縮めてくれました。
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 お礼を言って出てから少し歩き、この交差点を曲がって紹介してもらった宿へ到着。(ホントは道に何度も迷いながらだったのですが。)
 その宿の主人は気さくな人で、そのことも手伝ってカタコトですが英語が出るようになっていました。
 初めての宿探しも無事終わり、部屋に荷物を置いてすぐに街歩きに出かけました。
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 宮殿方面へ向かいました。

 この建物は何かの劇場だったのでしょうか。

 中央の広場を路面電車が走っています。日本では車優先の政策が路面電車の大半を消し去ってしまいましたが、西ドイツは違いました。どこの街でも路面電車を大切にしています。
 というか、路面電車を最も重要な公共交通と考え、それに合わせて街づくりをしていくという逆の発想のようでした。
(Apr2020追記:日本でも路面電車が再評価されつつありますね。)
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 先ほどの中央広場へはこのように自動車の進入が規制されているようで、歩行者と路面電車の2者共存が成り立っていました。
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 ショッピングモールからも自動車が排除され、そこは歩行者と路面電車だけでした。

 一本離れた道路はご覧の通り自動車と路面電車が共存するなど、当時でも棲み分けをきちんと成立させるすごい国でした。
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 既に投宿していることもあり、西ドイツ2日目はゆったりとした街歩きを楽しむことが出来ました。
~ ホテル トラバッド ~

*** 8 Mar.1989 ***
 ホテルトラバッドの主人は翌朝もやはり気さくでした。
 チェックアウトの際に次にどこに行くのかを聞いてくれて、フライブルクだと答えたところ、メモ用紙にホテル名を書いてくれて、「是非行きなっ!」(多分)と紹介してくれました。
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 駅前から広がる動物園の中を駅に向かう途中のぞき込みました。

 この写真は動物園に面した道路から撮ったのですが何しろ柵が低い!防犯上大丈夫なんでしょうか?
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 カールスルーエの駅に着きました。ICに乗って次の街に向かいます。
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 遠くには山が見えます。シュバルツバルト(黒い森)が近づいてきました。

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