04) フライブルク編(1989年版 西ドイツの街並み)

過去旅のご紹介

*** 8 Mar.1989 ***
 フライブルクはこぢんまりした美しい街でした。
 インフォメーションでもらったフリーマップを見ながら、カールスルーエの宿の主人から紹介してもらったホテルまで歩いて行きました。
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 ホテルは街のほぼ中心部に位置していましたが、フライブルクの街は日本の景観とは全く異なっていました。
 全く車がいないのです。
 フライブルク中心部の車両規制は今でこそ日本でも広く知られていますが、当時はそんな情報など知る由もありません。ちなみに現在のフライブルクの街づくりは、交通システムを含め更に進化しているそうですが、その“公共”の考え方は世界最先端とも言えるものでしょう。
 細かなところも徹底していて、側溝にいたっては石組みでしかも道の真ん中付近に作っているなど、大きな驚きを抱かされたホテルまでの道のりでした。
 日本の城下町、そこにも石組みの側溝は当然のようにありましたが、経済性が優先しその姿を消しつつあるのが残念です。
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 ホテルシュバルツバルターに到着。
 1階のレストランは定休日だが大丈夫か?と聞かれましたが、気にせずチェックイン。
 部屋のカーテンを開けたら上の写真のとおりそこは裏庭でした。
 小さな小さなホテルでしたが、安くて清潔でしかもすごく親切丁寧な良いホテルでした。前夜の宿の主人が勧めてくれたおかげです。
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 フライブルクはシュバルツバルトの縁に位置し、すぐそこに森が見えます。その山に上って街を見たくなりましたが、その前に街をぶらぶら歩き回ることとしました。
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 街の中心にはやはり教会と広場があります。

 そして車をシャットアウトした歩行者と路面電車の道、

 第二次世界大戦で破壊し尽くされながらも、昔ながらのデザインで復興した街並み、

 どれも西ドイツスタンダードです。

 今のフライブルクは、街への自動車乗り入れ制限をより一層強化しているようですが、一方ではこのように車乗り入れが可能な道での路上駐車をよく見かけました。
 奥にはマルティン塔が見えます。
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 歩いていたら川に出ました。

 ちょうどその頃の私は河川環境整備の仕事に関わっていましたので、川には興味がありました。
 遊歩道のある多自然型緩傾斜護岸なんですが、当時の日本ではこのような川がほとんど姿を消していました。それを復活させようと当時の建設省がモデルにしていたのは、こういう川だったんでしょうね。

 確かに川べりを歩くのは気持ちが良いものです。

 3月だというのにこの日は寒くあられまで降ってきました。

 広い公園がありました。

 そこはあまり手を加えられていない樹木がたっぷりの公園で、それが何ともいえぬ静けさを創出し、日本の公園とは全く違う色を醸し出していました。

 この角度だと、後背地の森を借景にして更なる広がりを感じられました。
 意図して設計したのでしょうか。公園設計が本職の私にとって非常に興味深い造景でした。

 施設は多くなかったのですが、野外ステージなどは森の中のオブジェのようでした。

 山へ登り始めて街を振り返るとまず教会の尖塔が見えました。
 更に上りながらいろんな角度で写真を撮っていたら散歩中の初老の男性と出くわしました。

 シャッターをきってもらうよう思い切って声をかけたら、ホントに満面の笑みで快諾して下さり、撮ってもらったのが当時の私が入ったこの写真です。
 西ドイツには優しい人が多かったです。
(Apr2020追記:今よりも人々がずっと穏やかだったような気がします。)

 フライブルクの街を見渡せるところまで登りました。

 こう見るとシュバルツバルトに抱かれたような街であることがわかります。

 ここは古城が何かの史跡だったのでしょうか?

 山から下りていきました。
 この写真の左奥3軒目くらいがこの日投宿したホテルです。昨日と違い小さいながらも“ホテル”でした。
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 夕食時までまだ時間がありましたので、夕方になり冷え込んできましたが街なかを更にぶらつきました。

 このあたりの道は車が入って良いようです。
 石畳と建物と控えめな看板、それとメルセデスベンツなどのドイツ車が完璧に調和しています!
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 水路の手すり格好良いですね。
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 陽が落ちて暗くなってきました。

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 何となく雰囲気の良さそうだった街なかの小さいレストランで、夕食を取ることにしました。
 MENU(その日の定食)を注文しビールを飲みながら食べたのですが、大好物のビール、美味しくて美味しくて立て続けに3杯飲んでしまったら、店の人が呆れ顔になっていました。
 ビールの本場でああいう顔されるとは思ってもいませんでしたね。レストランには地元の人と思われるお客さんが数人居ましたが、皆さん店の入り口付近でコートを脱ぎそこにある衣装掛けにハンガーで掛け、身軽な格好で食事を楽しんでいました。
 日本のほとんどのレストランとは習慣が異なるため、私は上着を着たまま席に着きましたが、次の日からそれをお手本にしたのは言うまでもありません。
 一日一日、西ドイツという国が身体に馴染んで来ているのを実感していました。
~ ホテル シュバルツバルター  ~

*** 9 Mar.1989 ***
 昨日と違い良いお天気です。

 このフライブルク中央駅から、DBのローカル線に乗ってでシュバルツバルトを横断します。

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