06) ウルム編(1989年版 西ドイツの街並み)

過去旅のご紹介

*** 9 Mar.1989 ***
 ドナウ川めぐり2番目の街ウルム、この旅で最も忘れられない街になりました。

 遠くの大聖堂(Münster:ミュンスター)の尖塔が、駅付近から既に見えています。
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 まずはインフォメーションでフリーマップとホテルリストを入手し宿探し。この日はアパートのような安宿に決めました。トイレ・シャワーは共同ですが寝られれば十分と思いましたので。
(Apr2020追記:多分B&BかPension=ペンジオンだったのでしょう。)
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 今夜のねぐらが決まったので街歩きに出ました。
 ウルムの中央にそびえたつ大聖堂は、駅だけでなく街のいたるところから仰ぎ見ることができました。後で知った話ですが尖塔では世界一の高さらしいです。
 逆光なのが残念です。
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 早速ドナウへ。
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 ほとりへ降りる階段・・・趣あります。
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 古いレンガ造りのパラペットに白い鳩が似合います。
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 護岸も遊歩道も樹木も建物も全て日本には無い光景です。
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 そんな西ドイツにも周りと調和しない無粋なビルはありました。
 あのお国柄、問題にならなかったのでしょうか?
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 夕方になって気温も下がってきました。
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 ほとりに下りたら遊歩道があります。
 当時、東京板橋区を流れる新河岸川の河川環境整備関連の仕事をしていましたが、新河岸川のかみそり護岸の内側にこのような遊歩道を造る計画がありました。下流の隅田川のその後は有名ですが新河岸川はどうなったでしょう?
(Apr2020追記:小豆沢や舟渡を含め綺麗に整備されましたね。嬉しい!)
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 ドナウから離れ街の中心部へ戻ってきました。
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 大聖堂の向こうは夕焼けです。
 この日実は、ウルムのインフォメーションで数日ぶりの日本人の学生さんと一緒になり、夕食を一緒に食べようと約束していたのです。確か大阪の守口から来たと言っていました。
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 時間も近くなってきましたので待ち合わせの場所に向かいました。この近くのお店に入ったんだったと思いますが、そこには地元の人がたっくさんいました。
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 最初はフライの定食のような物をつまみに、守口の学生さんとビールを飲みながら話していましたが、
飲んだら人一倍調子に乗る私、最後はドイツ人のおじさん達と乾杯の連続で、いわゆるドンちゃん騒ぎとなってしまいました!ドイツ語話せないし英語も適当でしたが飲んだら国境はありませんなー!!
 「In Japan you are called Ossan.」などと騒いだのが“良い”思い出です。
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 問題はその後・・・・・。
 ビールを20杯くらいおかわりした頃までは覚えていますが、そのあとももっと飲んでいたはずで、
店を出る頃は完全に出来上がった状態でした。
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 で・・・、守口の学生さんと別れ宿に戻ろうとしましたが、どうしても場所を思い出せないんです。ホテルではなくただの民家のような安宿だったんでどれも同じに見えるし、街並みも同じに見えるし、方向感覚がめちゃくちゃで何度も何度も昼見たドナウ川のほとりに行きました。
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 やっと宿が見つかったと思って、部屋の鍵の他に持たされていた玄関の鍵を鍵穴に入れようとがちゃがちゃやっていたら、インターフォン越しにおばさんが何か言っています。ドイツ語どころか日本語もわからないような状態のその時、何故か“Ich bin Japanisch.(私は日本人です。)”と言葉が出ていました。
 インターフォン越しにおかしな雰囲気が伝わってきて、何だか違うヤバイ空気を感じ急いで暗がりへ逃げたりもしました。そう、違う民家の玄関で鍵を差していたのでした。
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 夜中のウルムの街は人通りがほとんど無く、酔っぱらいの日本人は、大通りの交差点を照らしていたナトリウム灯のオレンジ色で、目から暖かさと勇気をもらっていました。なにしろ夜中の南ドイツは3月というのに超絶寒かったんです、はい。
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 寒さのおかげで酔いが醒めるのは割りと早かったのですが、結局宿に帰り着いたのは明け方の4時ごろだったと思います。
 それまでにパトカーとも何度となくすれ違いましたが、別に職質などされるわけでもなく、また変なやつらにからまれもしません。おそらく私が180cm越えの身長なので特に違和感がなかったんでしょうね。
 というか、南ドイツでは逆に私のほうが大きかったようでした。
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 ちなみにこの写真は夕方撮ったものですが、夜中のドナウ川界隈は真っ暗だったような記憶が残っています。
(Apr2020追記:暗い所が苦手となった今なら大変なことに・・・^^;)

*** 10 Mar.1989 ***
 気が付いたら宿のベッドの上で着の身着のまま布団もかぶらず寝ていて、もうすでに朝になっていました。
 これはこれはもうひどい二日酔いでシャワーなど浴びる余裕もなく、朝食もまともに口に入りませんでした。シャワー・トイレ付きの部屋にしなかったのはこの暗示だったのでしょうね。
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 前日の写真ですが宿の部屋からは外がこんなふうに見えていました。
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 これも前日ですがベッドで横になったときの視界です。ここウルムの大聖堂がゴシック様式っていうのはわかるのですが、これは何ていう様式なんでしょうか。
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 朝食を世話してくれたのは若い女の子で、コーヒーをついでもらうときに酒臭いかなと思って“too drank”と言ったけど、反応はありませんでした。
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 宿を出てウルム中央駅に向かい電車に乗ったはずなのですが、その間のことを良く思い出せません。でも次の街に向かったことだけは確かです・・・。

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