さて、話を前日、すなわち発災日7月7日に戻します。
17時前、全くの孤立状態だった吉田地域に、市の車として初めて水道局の車が入りました。
公用軽自動車1台と、1㌧タンク2基をそれぞれ積んだ宇和島市管工事協同組合のトラック2台です。土砂災害で幅員を確保できずに通行止めとなっている県道274号黒の瀬峠を、道路管理者である県の職員との問答の末、半ば無理やり通過し吉田地域最初の集落である知永地区に到達したのでした。その先の道路状況も全くわからない状況だったのでしたが、知永地区で合流する国道56号はその先の洪水も引き、泥に覆われていたものの何とか通行は可能だったとのことです。おかげで時間とともに断水が進行し水を失っていった吉田地域に、命の水を届ける目途がたったのでした。
17時過ぎ、吉田地域の人口集中地区に位置する吉田支所に、ついに応急給水所を開設することができました。その途端、水を求める地区住民が長い長い行列を作ったそうです。でも、これで何とか吉田地区への応急給水を始めることができました。
水道局には、吉田に入った職員から電話連絡が逐次入ってきていました。吉田支所以遠に応急給水所を増設していくため、私が彼らに道路状況を調査させるよう指示を出したのは言うまでもありません。しかし入ってくるのは、そこから各方面へ向かうルートはどこも通行不能という悪い知らせばかりでした。
彼らが吉田地域の状況確認をしている18時、私は自身この日2回目となる本庁災害対策本部に出席しました。
応急給水所の開設状況を報告し、水道局の職員だけでは現在まで開設済みの4カ所だけでも運営はできないと、本庁へ人的応援を要請しました。
またこの頃になると、少しずつ情報が集まり始めていました。
まず主要道路の通行止め情報。そして、自衛隊が通行止め継続中の高速道路松山自動車道を通って宇和島へ入ったとの情報もありました。一般道・高速道路共に通れず孤立状況となっていた宇和島方面へ、どういう方法かわかりませんが自衛隊の車両が高速道路を通って入れたというのです。この時は自衛隊の特殊車両が多くの障害を乗り越えながら進んでいる、そういう場面しか私の頭に浮かばなかったのでしたが、この情報はのちのち非常に大きな意味を持つこととなったのです。
なお、宇和島市は市立病院を3つ持っていて、吉田地域にも入院患者を抱える市立吉田病院や、介護老人施設オレンジ荘があります。幸い両施設共に患者・入居者を移送することで断水を乗り切るとのことですから、給水負荷の増大につながらないことに水道局としても胸をなでおろしました。ただこの両施設は、後に悩みの種のひとつとなるのです。
ー この記事の原文は水道産業新聞2020年(令和2年)9月28日版(第5444号)に掲載されたものです ー
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