達成感に包まれた私が柿原水道本局に戻ると、すぐに仁村から報告がありました。この日13時30分、四国四県の日水協支部から応急復旧の応援隊が到着したと。先日の4支部都市の水道技術管理者来訪後、宇和島への支援について協議を進め応援隊の派遣を実現させてくれたのです。感謝!
帰局後間もなくの15時55分、先日より駐在中の松山市公営企業局水道技術管理者の湯野副部長との協議です。今後の復旧作業をにらんで、横浜市水道局へ追加の支援要請をしたらどうかと提案されました。
日水協ルートでの要請をすぐさま依頼したのは言うまでもありません。この頃になると、要請文書の作成まで松山市にお願いしていたのです。私は要請の是非を判断し必要ならば押印するだけです。
なお、この手記で横浜市水道局のことを大きく取り上げることはおそらく無いことと思います。日本有数の高い技術力を持つ同市は、ごく初期の南予水道企業団への高度な技術支援に続き、宇和島市水道局の支援にもトップクラスの技術者が乗り出してくれています。それはこの日追加要請した支援に対しても同様でした。ただ…、吉田代替浄水施設からの送水管へのカメラ調査のアドバイス以外、ここに書き綴っていくための記憶も記録も〝私〟が持ち合わせていないのです。
その支援の場は、ほとんどが私の見えないところでした。横浜市水道局職員のほぼ全員が、現場対応や協議を行っている宇和島市水道局の職員に影のように寄り添いながら、その活動を続けてくれていたのです。そのため記していくための材料を〝私〟は持ち合わせていないのです。この手記への記載は最低限となるでしょうが、寄り添ってもらった職員達の目と心に焼き付いた残像は、そこから消えることは無いことでしょう。
ただ一点、こんな話が後になって私の耳に届きました。横浜市水道局も、一定期間で派遣職員が交代していました。その際には空路での移動だったそうなのですが、帰還する職員は松山空港に向かう前に、途中一旦松山市公営企業局へ寄っていたそうです。
そこで何をしていたのか、このことをのちに聞いて私は唸りました。俯瞰的に見ていた宇和島市への支援状況への感想を、松山市公営企業局へ伝えてくれていたそうなのです。我々がかなりの部分を委ねている松山市公営企業局ですが、災害の最前線で指揮を執った経験は横浜市水道局には及ばないとのことです。その点を考え、貴重な時間を割いて補完する動きをしてくれていたのです。
ー この記事の原文は水道産業新聞2021年(令和3年)5月13日版(第5495号)に掲載されたものです ー
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