話を8月9日、水質検査の速報値でクロロホルムが超過した翌日の朝に戻します。
音地水源についての市長との電話が終わると、すぐに私の部屋の扉をノックする音が聞こえました。松山市公営企業局企画総務課長の日吉さんです。おそらく部屋の外で電話が終わるのを待ってくれていたのでしょう。応急給水本部に駐在する日吉課長、赴任してまださほど日数が経っていなかったのではなかったかと思います。丁寧で慎重な言動が印象的でした。そして水道水質についての知識に深いということを、こののち知ることとなったのです。
日吉課長がこの時私に伝えたことは、クロロホルムの発生濃度が消毒用の塩素濃度で大きく変化するという、水道技術者にとっては常識でありながらも私にとっては未知の知識でした。
ただその時の私は、非常に単純明快なそのことを消化する状況下にありません。日吉課長は私の表情からそれを読み取ったのでしょう、補足説明をいくつか加えただけで退室していきました。
通常ならば、すぐにネット検索などを使ってクロロホルムについての知識を仕入れる私なのですが、私は日吉課長からその情報を与えられても自分で調べることもせず、給水課の仁村課長のもとへ向かったのでした。その時の私は、余裕が無い人間の典型だったのかもしれません。
私は仁村へ先ほどのことを伝えました。すると仁村から聞こえてきたのは〝消毒副生成物〟という言葉です。既にこの知識を持ち合わせているようです。前日の速報値到着の際には私にこのことを伝えていませんでしたが、水道技術管理者の彼でも知識を持ち合わせず、この半日少々の間に調べたのでしょうか。それとも知ってはいたものの、彼もショックで私へ伝えられなかっただけなのでしょうか。どちらにせよ、仁村の表情からは既に次に向けた策を練り始めていることが伝わってきました。
そしてこの数時間後となる11時40分、日吉課長の再度の来室です。私の頭が整理される頃を見計らってのことだったのでしょう、今度は一歩踏み込んだクロロホルム対策についての話を始めました。私は仁村を部屋に呼び同席させました。今度も、私の水道知識が入る器はあっという間に溢れてしまうと思ったからです。
日吉課長は具体策として、〝後次亜〟を提案してきました。ろ過工程の前で消毒する〝前次亜〟を含めて私が初めて耳にするその用語、水道関係の皆さまに説明する必要はないでしょうが、この時の私は九九を教わる小学1年生のようなものでした。ただ、原理を教わると私も理系人間、あとの理解が早かったのは救いでした。この2人の課長に、さほど説明の手間を割かせることはありませんでしたので。
この時、両地域の代替浄水施設には、それぞれ1基ずつだけ次亜塩素酸ナトリウム注入装置が設置されていました。完成を急ぐことを最優先課題としたことから、極力シンプルな構成としたのでしょう。
私のような水道の素人は、ろ過処理後、送水に至る直前に消毒工程を入れる〝後次亜〟がまず頭に浮かびます。都市整備課長在任中、下水処理場の所長を兼任していたことがその発想の元かもしれません。処理水を海に放出する直前に消毒工程がありましたので。ただ、金属類など多くの物質が混入している原水を安全・安心な飲用水とするのは、そのような単純なものではなかったようです。特に、三間地域の暫定的な水源としたのは農業用ため池です。これまでの原水とは全く異なる〝ため水〟です。
日吉課長が後次亜を提案したのは、前次亜と合わせて次亜塩素酸の注入濃度を細かく設定することで、消毒副生成物の発生を抑制するポイントを探りやすくするためでした。応急給水・応急復旧に付け加えられたこの水道水質についての技術指導、松山市公営企業局からの受援内容に新たな項目が一つ加わりました。
なお、仁村は早速南予水道企業団の竹本事務局長に連絡を取り、その追加整備について進言したのでしたが、これまで仁村の言葉に耳を傾け続けていた竹本からは逆に、宇和島市水道局の各配水池で、次亜塩素酸を追加注入できないか検討するよう強く求められたのです。発災から一箇月少々、応急給水や応急復旧で双方ともに心の余裕を削られ続ける中、同級生であるが故に言いたいことを言い合いながら難局を乗り切ってきた2人が、その歯車を狂わせ始めたのでした。
ー この記事の原文は水道産業新聞2021年(令和3年)11月8日版(第5538号)に掲載されたものです ー
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