一、(8)一触即発

第四章 新たな闘い

 発災35日目の8月10日は、朝から雲行きが怪しい金曜日でした。天候の話ではなく、宇和島市水道局と南予水道企業団の関係のことです。

 前日の市長協議に至るまでに、両組織ではクロロホルムを抑えるための方策についての意見摺り合わせを行っていました。後次亜装置や活性炭槽の追加、また次亜塩素酸濃度の細かな調整などハード・ソフト両面です。

 その大半は、水道局が給水課長の仁村、そして企業団が事務局長の竹本、この二人の元同級生による電話協議で行われていたのです。

 この朝も、仁村はそれを含め各所と断続的に電話をしていたようでした。10時過ぎ、その仁村の声が徐々に大きく強くなってきました。そして誰かと電話で激しくやり合い始めたのです。私の部屋まで届くその話し方からは、相手が竹本事務局長だということがすぐにわかりました。

 しばらくそのやり取りは続きました。そして静かになった頃、私は仁村の席へ向かいました。既に電話を切った仁村の表情には余裕がなく、怒りのせいか逆に引きつり気味に私には映ります。私の顔を見るなり仁村は私に伝えました。前次亜の濃度を下げてはどうかと竹本事務局長に提案したと。ただその少し前、水道局の別職員から運転を委託している業者へ逆の要請が入っていたため、その指示系統が一本化されていないと竹本が怒り始め、そして聞く耳を持たなくなったということを。

 この時点では、水道局より企業団のほうが余裕が無かったのは言うまでもありません。消毒副生成物対策は、代替浄水施設運営主体の企業団が行うしかありません。そのため、水道局に伝わりきらない苦労が多々あったことでしょう。

 立場を置き換えるとそれは簡単に想像ができます。例えば水道局の場合、特にこの災害対応の初期段階では、愛媛県からの問い合わせに担当職員は悩まされていました。余裕が無い中で、詳細にわたる問い合わせが再三再四入り、その度に行っていた作業を中断させられていたのです。彼らの苛立っている様子を目にする度に、厚労省水道課のようなリエゾンを派遣してくれればお互いにとって良いのにと、何度思ったことでしょう。県にも事情があるのだろうと私からの抗議は控えましたが、この時の竹本事務局長はそれを遙かに超えた状況に置かれていたのだと推測します。

 『まずい』、私は自分の出番だと直感しました。そして、メモ帳だけを持ってすぐに企業団事務所へ向かいました。

 水道局に隣接していながらも、会議室を除いて普段はほとんど入ったことの無かった南予水道企業団、その事務室へ私は単身乗り込みました。水道局と異なり、職員は結構いるものの静かな部屋だったというのがその時の第一印象です。一番奥の自席に竹本事務局長は座っていました。そして私の姿を確認した彼は、本来は事務局長室であった入り口付近のパーティーションで囲まれた応接室へ私を導きます。彼の顔には余裕が全く無く、そして仁村同様引きつった表情です。彼は私が怒鳴り込みに来たのだと思ったのかもしれません。お互いこの両組織に配属される前は本庁勤めでしたので、私の若い頃のことを知っているのでしょう。気に入らないことがあれば相手先に乗り込み年上だろうが何だろうが食いつく性格でしたので、その時そう思われたとしても不自然ではありません。

 しかし、そんな私も歳を重ねる毎に丸くなってきました。同席した保利浄水課長と竹本事務局長を前にして、私は悟られないように大きく深呼吸をしました。『宇和島市水道局は被害者だぞ。天災によるとは言え、断水の原因者は南予水道企業団だろ。早くクロロホルム対策をしろよ!』との本音の叫びを抑えるために。そして冷静さを装いながら第一声を発したのでしたが、それがどのような言葉だったのか思い出すことができません。ただ、相手を刺激しないような、「どうした?」「どんな具合だ?」的なものだったと思います。

 竹本事務局長は心持ち震える声で2歳年上の私に言いました。責任分界点は自分で十分理解しており、そのため全力で動いていることを。そして、運転を委託している業者が一生懸命動いているためしばらく静観して欲しい旨のことを、いつも通りの敬語を使って。そしてセカンドプランとしての配水池での塩素直接注入について、水道局でも検討を急いで欲しいとも。私は彼が必死で振り絞る言葉を聞きながら、限界付近にいる彼に対し誠実に答えました。セカンドプランの検討を約束すると。ただ後日、このセカンドプランは検討が進められたものの結局廃案となったのでした。技術的な問題、立地上の問題、機器納期の問題などによって。

 また、熱くなる発端となった前次亜濃度の件を彼は続けました。水道局から企業団への要請の一本化を徹底して欲しいと。それは当然のことです。私は率直に詫びるとともにそれを約束し、お互いに熱くならず問題解決に向かっていくよう彼を諭しました。竹本事務局長もその頃になると冷静さを取り戻していたようで、丁寧に同意の言葉を返してきたのです。

 水道局に帰り企業団でのやり取りを仁村へ伝え、私はセカンドプラン検討と前次亜濃度変更要請の窓口一本化を指示、その後竹本事務局長へ協議事項を局内で徹底したことを電話で伝えて一件落着しました。傷口が広がらないうちに何とか収めることができました。自分自身驚いたのですが、私、大人の対応ができたようです。そして、あとでこんな自分を自分で褒めてやりました。

ー この記事の原文は水道産業新聞2021年(令和3年)11月29日版(第5542号)に掲載されたものです ー


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