三、(8)愛媛新聞西田記者と光の当て方

第四章 新たな闘い

 そんな8月30日でしたが、ちょうど電話も来客も途切れていた13時30分、愛媛新聞の西田記者が私の部屋へ訪れました。通水1カ月の記事を紙面に掲載したいと、前日にアポ取りの電話をくれていたのです。

 実際の紙面の詳細はよく覚えていませんが、県内の各被災地が2カ月経過した際の様子を特集したもので、その中に水道の対応状況も掲載されていたものではなかったかと思います。

 前にも記しましたが、西田記者は現場に寄り添った記事を、事実に基づいてしっかりと書く若者です。そのため、細かな部分も裏取りを怠らない姿勢に、私はいつも感心していました。一方この手記で私は、執筆に際して新たな取材をほとんど行っていません。なので、当時のわずかな記録とつたない記憶だけが頼りです。そのため、事実に即していないとのご指摘を受け、関係者の皆さまに不快感を与えてしまったこともありました。報道の現場ではこの手記以上に、そのようなことがあってはならないのでしょう。

 また一方で西田記者は、普段あまり光の当たりそうにないところに、敢えて目を向けようとする姿勢も持ち合わせていました。そしてそのことは、私が彼の評価を高めていた大きな要素でもありました。

 例えば7月24日、三間地域の代替浄水施設建設地で知事同席のもとで行われた、工期短縮の報道発表での彼が書いた記事のことを思い出してください。通常そういう場面では、知事と市長が発表している状況をカット写真として採用するのではないかと思いますが、既述のとおりその記事では、私が現場を指差す先を両者が見つめている写真が採用されていて、朝刊の1面を見た瞬間私はかなり驚いたものです。

 この例では私がクローズアップされていたので、私からの好感度が上がったと皆さまはお感じになるかもしれません。ただ、この災害時だけでなく宇和島から離任しても、彼の素晴らしい記事を新聞紙上で幾度となく見つけることができました。そのたびに、私の評価は間違っていなかったと思ってしまうのです。

 ところで、〝光の当たる〟と書いていて、一つ思い出したことがあります。

 この私の手記では、宇和島市水道局長の立場で知り得た情報から、その時の災害対応を書き綴っています。それを今更説明する必要は無いでしょう。ただ、このことは裏を返せば、後になって初めて知った非常に多くのことが、ここにはほとんど記されていないということにつながります。

 その一つに、当時国のリエゾン総括として本庁に派遣されていた、総務省の羽根川地域政策課長の一件があります。

 羽根川課長が我々水道局に直接関わったことは、私の知る限りありません。当時の我々からは、国と言えば厚労本省の是川水道課長の顔しか思い浮かばなかったのですから。

 本庁災害対策本部会議では、当然私も羽根川課長にはお目にかかっていました。ただ、直接話をする機会は無かったと記憶しています。

 そんな羽根川課長、どうやら南予水道企業団の代替浄水施設の建設に、陰で大きく係わっていたようです。また、過去に国からの出向で、愛媛県の総務部長と副知事を合わせて約7年間勤めた経験を持つ羽根川課長、宇和島市と国・県の間の大きなパイプ役になり、現場での自衛隊等との調整に始まり、市がゼロからスタートするには非常に困難な復旧・復興に係る予算措置の調整、また、そのほか大小様々な件で奔走してくれていたそうです。

 のちに衆議院議員に転身したこの羽根川課長以外でも、この手記に登場していなくとも、断水の解消に向けて骨を折ってくれていた方々がたくさんいたことでしょう。また、水道関連の復旧・復興以外で、被災地のために動いてくれていた方々は更に更にたくさんいたことでしょう。

 それら光の当たっていない皆さまに、あらためて感謝するとともに、西田記者には今の取材姿勢をずっと持ち続けてもらいたいと願っています。

ー この記事の原文は水道産業新聞2022年(令和4年)2月10日版(第5559号)に掲載されたものです ー


《無断転載はお断りいたします。》

*登場する人物や組織に対する私の意見・感想は、個々の評価を意図したものではありません。また、臨場感を伴わせて全容をお伝えするために人名を記載していますが、文面に対する人それぞれの捉え方に配慮し全て仮名としています。ご理解のほどよろしくお願いいたします。

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました