9時40分、発災以来初めて、市立吉田病院の浦上事務局長から電話が入りました。断水初期の段階で危機的な状況となっていたにもかかわらず、その存在が消えているように感じられていた、私と同年度入庁の浦上です。
多くの困難がこれまであったのは想像に難くありませんが、他の多くと同様、彼についての情報は全く私の所まで届いていなかったのです。私はこれまでの労苦をねぎらいました。そして、断水は解消したものの飲用の安全宣言には至っていない状況下での、吉田病院の様子を聞きました。
彼からは、とても災害時とは思えないハイテンションな声が返ってきました。全国からの支援で届くペットボトル水で何とかなっているから大丈夫、と、以前と変わらぬ冗談交じりの口調で。私は拍子抜けしました。一応の断水解消からくる開放感が、彼の口調をそのようにしたのでしょうか。それはともかく、2歳年下の彼から発せられたそのような言葉で、前日から覆われていた心の霧が少しだけ晴れたようでした。
私は同い年の辻田総務部長同様、年齢制限ぎりぎりで旧宇和島市に入庁したのでした。同期入庁者は20名弱でしたが、当然ながら辻田と私は最年長です。そして同期の中での年齢差は最大11歳ありました。ただ入庁当初から、みんなで一緒に飲んで騒いでを繰り返し、年齢差を感じさせない仲間となったのです。そののちそんな付き合いは年々減っていきましたが、顔を合わしたときにはすぐにその感覚が戻る、そんな同期の連中は私にとってかけがえのない存在でした。
水道局にも同期は2人いました。給水課で浄水場や配水池などの水道施設を担当している照崎専門員、そして業務課の徳島専門員という女性です。既にこの手記に登場している11歳年下の照崎君が発災以降担っていた役目は、厚労本省への毎日の断水状況報告など、もっぱら柿原水道本局内での仕事でした。一方の徳島さん、年齢は〝私よりかなり下〟とだけにしておきましょうか、彼女はこの時業務課の他職員同様、交代で応急給水所の運営要員として真夏の屋外での任務にあたっていました。長期にわたる慣れない現場仕事、酷暑の中さぞかし大変だったことでしょう。
なお徳島さん、平時は水道局全体の庶務全般を担当していて、言わば隙間を埋める動きにあたることをしてくれていました。そんな彼女はたまに用務で私の部屋を訪ねてくれていたのですが、その際はあれやこれやと世間話で盛り上がるのでした。やはり歳は離れていても同期です。そしてそのひとときは私にとって一息つくことのできる貴重な時間でした。
さて、浦上吉田病院事務局長の話へ戻します。実はこの時、私からも彼に連絡しなければならない用件があったのです。宇和島消防本部の3・5トン水槽車と支援の西条市消防本部10㌧大型水槽車を使用し、医療機関の高置水槽への充水作業を行うことが可能になったと、私は滝本消防長から連絡を受けていたのです。
私がこのことを伝えると、彼は一度は遠慮がちに断ろうとしていたのですが、最終的にはこの申し出を受けたのでした。いかにペットボトル水で順調に運用中であっても、高置水槽からの通常給水とは効率が全く違います。この電話は私への慰労の電話だったのでしょうが、逆に彼の苦労を少し軽減させることにつながりました。
ー この記事の原文は水道産業新聞2021年(令和3年)11月11日版(第5539号)に掲載されたものです ー
《無断転載はお断りいたします。》
*登場する人物や組織に対する私の意見・感想は、個々の評価を意図したものではありません。また、臨場感を伴わせて全容をお伝えするために人名を記載していますが、文面に対する人それぞれの捉え方に配慮し全て仮名としています。ご理解のほどよろしくお願いいたします。
コメント