帰局後の16時、私は幹部局員だけを部屋に呼び、最後まで支援のために残ってくれている松山市に頼らない体制構築についての協議を行いました。今治市・新居浜市の引き上げ後も応急給水所での水需要は更に減ってきています。そのため、そろそろ支援からの脱却を考え始めていたのです。
翌8月21日午前9時30分、日吉課長と交代で赴任していた松山市公営企業局水道技術管理者の湯野副部長が私の部屋を訪れました。昨夕内部協議したばかりの体制縮小について相談のためにです。その時の松山市の支援体制がどうだったのかよく覚えていませんが、2日後には応急給水1班だけに体制を縮小したいとの意向を私に伝えました。
私は即答でそれを受け入れました。ただし、突発的な事案に我々だけでも対応できるよう、当面の間加圧給水車1台を借用したいとのお願いとともに。湯野副部長は前向きな回答です。良かった、貸与が実現すれば何とかなると昨夕の協議で話したばかりでしたので。
13時、湯野副部長が再び来室です。午前中から状況に変化があったというのです。
実はその時、強い台風第20号が日本の南海上にありました。宇和島もその進路予報円の中に入っています。我々は松山市の体制縮小の話を聞いたとき、そのことに少し引っかかっていました。そんな我々の心配が伝わったのか、体制の縮小は台風通過後まで見送ると平松事業管理者が判断してくれたそうなのです。本当にありがたいことです。
なおこの台風は23日夜、強い勢力を保ったまま徳島県南部に上陸しました。宇和島は進路の左側でしたのでほとんど影響はなく、心配していた代替浄水施設への影響もありませんでした。転がしの未固定配管を含めて暴風への備えに少々心配していましたので、何も起きなかったことに安堵しました。ただ他府県では人的被害も発生しています。複雑な心境でした。
台風一過の24日16時前、湯野副部長は応急給水の1班だけを残し帰路に就きました。その日の私は、15時から本庁で開催された第1回災害復興本部会議に出席していました。そしてその終了後、私は自らの運転で急いで帰局。すると門のあたりから一行の姿が確認できるではありませんか。間に合った、どうしても見送りたかった私はホッとしました。ただ、手すりにもたれるなど何となく時間を持て余しているように私には見えました。おそらく私の帰局をずっと待っていてくれたのでしょう。湯野副部長達は入ってきた車を運転しているのが私であることがわかった途端、行動を開始したようでしたので。私の気持ちを察してくれていたのでしょうか。そんな気遣いを含め、本当に長い間の駐在ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。
4日後の8月28日、宇和島へ貸与する加圧給水車1台を残して松山市公営企業局の最後の1班も引き上げました。私は母の通院介助のために不在でしたが、正午前、他の職員全員で最後の職員2名を見送ったそうです。発災翌日から実に1箇月半のことでした。
あなた方がいなければいったいどうなっていたことでしょう。本当にありがとうございました!13時の出勤後すぐに私は平松管理者に電話を入れ、長きにわたった支援・派遣に最大の謝意を伝えました。
ー この記事の原文は水道産業新聞2022年(令和4年)1月24日版(第5554号)に掲載されたものです ー
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