水道産業新聞への長期連載と同時に本Webサイトへ掲載し続けていたこの手記は、後世への伝承をより確実にするため2022年11月25日(株)水道産業新聞社から書籍として発刊されました。その際、新たに判明した事実を中心とした若干の記載内容修正を行った関係で、当初内容との相違から来る混乱を回避するため本サイトへの掲載を取りやめていました。
いずれ調整して再掲載しようとは考えていたのでしたが、そのまま時間が過ぎ、そんな中発生したのが能登半島地震です。この大災害からの復旧は未だ先が見えない状況ですが、今後も私たちは幾度となく未知の疫災に立ち向かっていかなければならないでしょう。
この手記で平成30年7月豪雨災害への対応を残そうとした動機は、当時の経験が少しでも今後の災害対応のヒントになればと思ったから。その原点に立ち帰り、内容を書籍版に合わせたものとして再び本Webサイトで公開することといたしました。
公開期限は今のところ「しばらくの間」としか言えませんが、是非皆さまご一読ください。
コージーコンサルタント代表 石丸孔士
手記 ちいさな道標
平成30年7月豪雨 浄水場喪失からのドキュメント
A5版 無線綴じ製本 254頁
販売価格 1,980円(税込み)
(株)水道産業新聞社
全体目次です。
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はじめに ーこの記事の原文は水道産業新聞2020年(令和2年)8月31日版(第5437号)に掲載されたものですー
この手記のサブタイトル「平成30年7月豪雨 浄水場喪失からのドキュメント」、この題名が最初に世に出たのは、令和元年の8月23日、産学官問わず多くの水道関係者が横浜国立大学に集結し開催されたシンポジウム、「持続可能な水道システムの確立~強靭化のあり方を考える~」で、当時宇和島市水道局長だった私が講師の一人として務めた時でした。
平成30年7月7日、宇和島市の給水人口の約2割、1万5千人余りの市民へ水を送っていた浄水場が土石流に呑み込まれ、一瞬のうちに壊滅的被害を受けてしまったという事実は、このような表題や言葉では言い尽くせない衝撃的な出来事でした。
その被災最前線での対応状況など、起きていたことをできるだけ多くの関係者にお伝えすることが、水道局長としてそこにいた私の責務だと思っていたのでしたが、発災から2年弱の令和2年3月末の定年退職で、一旦その役目を終えることになります。
職務からの開放感は私に安堵の日々をもたらせてくれました。ただ一方では、この災害対応の伝承をここで終えて良いのかという思いも、日に日に大きくなっていきました。そこで、歳を重ねるごとに諦めの悪さとフットワークの軽さが進行していく私は、退職したメリットを活かせる別の方法を考えたのです。
若い頃は人前で話すことが大の苦手だった私は、歳が進むにつれ、好んで発表や講演に臨むようになったのでしたが、その機会が無くなったのなら、これも同様に苦手意識が小さくなった文章によって、詳細にわたる記録を残そうと決めたのでした。
イメージしていたのはネット出版。購読者がもし少なくても残さないよりは良い、そう割り切って早速執りかかり、発災4日目の様子をワープロで19ページ目の約1万8000字付近にしたためていた時、水道産業新聞の関係者から一通のメールが私のもとに届いたのです。退職等の挨拶として私が送付した葉書に対する返書として。
メッセージを読み終わり間もなく、私の思考回路がぐるぐると動き始めました。『そうだ、多くの水道関係者の皆さまが購読中の専門新聞にこの記録が掲載されれば、ネット出版よりはるかに多くの方に読んでもらえる。そうなれば僅かながらも、お世話になった水道界への恩返しになるかもしれない。』、そう考えた私はすぐさまこの想いをメールにしたためて送ったのです。それに同紙が興味を示してくれ、数度のやり取りののちに紙上での連載が実現したのでした。
ところで私は定年退職後の令和2年4月、空間計画をコンサルティングする個人事務所を立ち上げました。とは言いましても、好きな旅をしながら自作ウェブサイトへのブログやユーチューブへの動画をアップしつつ、お声がかかればお手伝いをするという、勝手気ままな定年後人生を送りながらも社会貢献への機会を僅かでも残しておく、そんなライフワークの舞台ですが…。
「空間計画」と皆さまお聞きになって何を想像されますか?例えば私の本職の造園計画、例えば建築計画、例えばライフライン計画、例えば景観計画、十人十色の様々なものが頭に浮かんでくると思います。逆に言えば、何なのかさっぱり分からないっていうのが本当のところでしょう。
若い頃からの目標を曲がりなりにも実現させるにあたって、何のコンサルタントを名乗ろうか私は考えました。『原点に帰ると「造園」か。いや、都市計画や上下水道にも係わってきたのだから「都市インフラ」か。災害や事故対応でも走り回ってきたので「防災」を加えるか』と。そして行き着いた答えが、『本来はこれらに境界は無い。全ての舞台は「空間」だ!』だったのです。今後も機会があればこれら全てに係わって行きたいと思う私は決めました。「空間計画コンサルタント」という全てが対象となる名称に。
誰もが当たり前と思っている日常の居心地の良い空間を、災害という負の変化で突然奪われた時、応急対応の最前線は、何を「見て・聞いて・言って・感じて・動いて」いたのか。それをわずかな記録と頼りない記憶を基に書き綴るこの手記は、私にとって生きてきた証であり、また、新たな出発の号砲のようなものです。同時に皆様にとって、災害・事故・感染症など未来の予期せぬ脅威に立ち向かって行く時の、ちいさな道標になればと、書き進めながら想いを巡らせています。
*なお、登場する人物や組織に対する私の意見・感想は、個々の評価を意図したものではありません。また、臨場感を伴わせて全容をお伝えするために人名を記載していますが、文面に対する人それぞれの捉え方に配慮し全て仮名としています。ご理解のほどよろしくお願いいたします。
令和2年8月(一部修正令和4年8月)コージーコンサルタント代表 石丸孔士
(元 宇和島市水道局長 併任
南予水道企業団事務局長)