【初めての能登と40年ぶりの兼六園】

日々の出来事

 「金沢へ行きませんか?」
 某編集長の一言に二つ返事で応じた私、別記事でご紹介した通り、その目的は金沢大学の地震防災研究会での発表がメインです。

 でもだそれだけではありません。少し足を延ばしまだ見ぬ能登の景観をこの目で見てみたい、そして40年前学生の頃、オートバイツーリングの途中でほんのわずかの時間立ち寄った真夏の兼六園、あの有名な日本三名園の一つを、造園職公務員を終えた今もう少しゆっくりと観てみたい、そういう少々欲張りな思考が瞬時のうちに頭の中を駆け巡り、完全手弁当の研究会での発表を快諾したのでした。

 でも旅先での機動力を重視し、車を自らの運転し片道2日往復4日を移動に充てるなど結構な強行日程となってしまった今回の旅、基本別行動の嫁・娘が帯同することとなったこの旅、果たして果たして・・・。

金沢東急ホテル

 会の趣旨とのミスマッチを自身少々感じながらも、それをものともせずに持ち時間喋りまくった発表や、その後は某編集長行きつけのジャズバーを味わうなど充実した一日が明け、翌9月20日となりました。
 その日は4連休の二日目、金沢市内はGoToトラベルの後押しもあり、新型コロナ禍なにするものぞと朝から実に多くの観光客でにぎわっていました。
 『こんな中で兼六園に行っても人だかりを見に行くようなもの』と思った私は、まずは能登行きを先行させ、連泊中の金沢東急ホテル地下駐車場から車を出し、そのまま海岸方面へ向かったのでした。

 ちなみに普段だと、このようにお高そうなホテルなど使うことなど考えられません。でも、GoToトラベルのおかげで手が届くどころか、ビジネスホテル並みの価格帯となっています。
 しかも金沢では駐車場の無いホテルも多い中での駐車料金コミコミプラン、便利な立地と痒い所に手が届くサービス、それにビジネスホテルでは軽視されがちになっている防音がしっかりしていて、宿泊という面では満点のホテルでした。

 ただ朝食だけは残念な結果に。和定食は減塩を通り越して味気なく、それより何より、連泊でわかったことはその献立は毎日同じものだったのです。

 二日目のことです、新型コロナ禍での臨時朝食会場の宴会場へ到着し案内された席へ着席、そしてオーダーです。お品書きを見て『ん?』と思った私は念のために確認しました。「昨日と同じですか?」と。返ってきた答えはそれが当たり前と言わんばかりの「さようでございます。」

 このホテルは初めてのため新型コロナ前のことは知る由もありませんが、おそらく朝食会場で接客していたのは、普段の数倍、いや見るところ十倍以上のホテルマンを充てていたのではないでしょうか。客と同数程度の身なりの整った方々が、パーティー会場さながら動き回っていました。
 一流ホテルの一流ホテルマンから帰ってきたその返答は、私をがっかりさせるのに十分過ぎるものでした。でも聞いてよかったです。こういう時にはほぼ100%和食を注文する私は、もう一つのメニュー、アメリカンブレクファストをオーダーしたのです。通常の組み合わせであるパンに代わりご飯とすることで。
 この組み合わせは大正解でした。私の好きなドイツ風ウィンナープレーンオムレツは、少々古めでしっとり感の全く無いご飯にピッタリだったのですから。ただ、あとでしまったと思ったことが一つあります。どうせならあの薄味の味噌汁ももらえば良かったと^^

 朝食は通常ならばブッフェ形式だったのでしょう。でも新型コロナ禍の今は仕方ありません。ただ、お飾りのように設けていた手渡し式のミニブッフェは、冷食に毛が生えた程度としょぼ過ぎでした。フルブッフェだったとしてもどうだったのか、期待しない方が良いかもしれませんね。朝食無しのプランにして、ちょっと離れた吉野家まで車で出かけた方がずっと良かったかもしれません。
 そうそう、そのミニブッフェにあったデザートはかなりの美味でした。塩気を効かせたプリンを始め、手作り感あふれる和洋のお菓子があったことを、このホテルのパティシエの名誉のために記しておきます。

 あれれ、話しが少し脱線してしまいました^^

千里浜

 さて話を戻します。
 海岸方向へ向かったのは訳があります。能登へ向かう最短経路には間違いないのですが、あの有名な千里浜なぎさドライブウェイ、日本海を横目に砂浜を10km近くも車で走ることができる観光道路を走ってみたかったからです。

 でも同じ方向を目指す県外ナンバー車がやたら多いようです。私も県外ナンバー車ですが嫌な予感が・・・。
 案の定、「のと里山海道」に入ると、渋滞はしてないものの片側2車線の自動車専用道路は自動車で一杯です。そのまま走っていたら、千里浜なぎさドライブウェイが混雑しているとの案内表示が出てきました。
 『やめた!』 混んでいる所が大嫌いな私、若干の躊躇はありましたがスッパリと諦めました。そして四輪車はただの移動の道具とも認識している私、いずれ混雑していない時期に二輪車で走ろうと、頭を切り替えたのです。

 で、代わりに立ち寄ったのが「道の駅 のと千里浜」でした。

 ここは広~い砂浜に面していて、そこを歩き日本海に直に触れることができます。車で走らなくても自分の足で歩くことができ、これはこれで良かったと自分を納得させました。

 でも、ここも混んでいました。この先大丈夫でしょうか。。。

氣多大社

 次に向かったのは羽咋市の柳田IC近くにある氣多大社です。ここは能登の国の一之宮で本殿などが重要文化財ですが、それより何よりここは縁結びの神様なのだそうです。もう二十うん歳の娘のためによーく拝んでおかなければと思っての寄り道でした^^;

 縁結びの神様らしく、ハート形の絵馬もあります。

 でもその中にはこんな恐ろしいもののも・・・。

 怖!
 *
 そしてこんなのも・・・。

 恐るべし、氣多大社! いろんな意味で来てみて良かったです。

間垣の輪島大沢集落

 ここまでゆっくりしすぎてしまいました。既に13時近くになっています。この先どこまで回れるでしょうか。
 どうしても行きたかったのは、輪島市のはずれにある大沢集落でした。NHK朝ドラの「まれ」をご覧になっていた方ならご存じでしょう、冬の強い海風から家を守る高ーい竹垣、間垣というのらしいのですが、この独特の景観に直に接するのが、何と言っても能登行き動機のメインだったのです。
 輪島市街を抜けたのは14時近くでした。お腹も減ってきていたのでしたがこの先何かあるでしょう。ただ、これが間違いの始まりでした。

 途中から道路は狭くなっていきます。離合がやっとの区間もあり、どこまでこれが続くのかとうんざりしかけた頃、やっと見えてきました、テレビで見ていた間垣の集落が!

 来客用の駐車場に車を停め、ジンバルにセット済みのミラーレス一眼を持って歩き始めました。

 やはり「まれ」を最前面に出しています。当然でしょう。

 うーん、規模は小さいもののなかなかの景観です。これはここにしか無いものでしょうか?それとも全国には同じような竹垣集落があるのでしょうか?

 どちらにせよ、良いものは良い!

 全国的に有名になった大沢集落ですが、「まれ」の放映からもうかなりの年月が経った今、ここを訪れる人はどうやら少ないようです。金沢市内が観光客でごった返しているこの連休中でも、観光客と思しき人はわずかです。
 あの「まれ」はここ大沢集落にどのような利益をもたらしたのでしょうか。途中、売り物と思われる折り紙の猿をベンチの傍らに置いて佇んでいた年配の女性はいました。

 でも、トイレを公衆用に開放している集会所でも土産など販売していないし、何らかの形でここに経済的な恩恵があればと思ったのは、私だけでしょうか。「奥ゆかしい」という言葉で片付ければ早いのですが・・・。

 これがイタリアならば、例えば世界遺産チンクェ・テッレのマナローラという村には、実に多くの観光客が世界中から集まっています。そして街並みを崩さずに営業しているレストランなどで経済活動が行われていました。

 マナローラは交通の便が良いので同列で扱ってはいけないかもしれませんが、他のバスしか通っていないような地域の村にも口コミによって多くの人が訪れているようです。
 そのことで古き良き村の生活が変貌してしまうのはどうかとは思いますが、せめて、大沢集落のような有名なところでは、地元の食材を活かした菓子くらいは売っておいて欲しかった。そう、時刻は既に15時近くです。私のお腹はグーグーと鳴りっ放しだったのでした。何か食べたい(@_@)

 ちなみに宇和島市の水荷浦という集落には、あのマナローラに勝るとも劣らない石積みの段畑(いわゆる段々畑)があります。

 そこでは地元NPOが茶屋を開いていて、奥ゆかしさを保ちながらも来訪者に応える体制を整えています。マナローラのように鉄道駅が近くにあるわけでもなく、またバスの本数は少ないこの水荷浦、経営的には成り立ってないのではないかと思いますが、この大沢集落への訪問で、ふとその頑張りが頭に浮かんだのでした。

 日本海をボーっと見ながらもっとゆっくりしたかったのでしたが、空きっ腹には勝てません。輪島市街にもどることとしました。

 *

 途中、日本海を臨む展望台がありましたので少しだけ寄ってみました。ゾウゾウ鼻という、象の鼻のような岩にちなんで名付けられたそうです。

 ここはほどほどにして輪島市街へ再び向かいます。

輪島市街

 途中、食べ物やに遭遇しないまま到着!でも・・・。

 到着したのは15時を過ぎています。そうです、蕎麦屋もステーキレストランも昼の営業を終え、全て準備中となってしまっていたのでした(>_<)
 開いていたのは和菓子店くらいです。それでも良いかなと思ったのでしたが、どうしても“ご飯”を食べたい私は、最後の砦、道の駅へ向かったのでした。

 一応テイクアウトの串焼き店が営業していました。ただ並んでいる客は無く、店の前のベンチで何人もがたむろっているだけです。
 この新型コロナ禍でマスクもせずに焼き場を取り仕切っている女性店員に聞くと、面倒くさそうに待ってもらう必要があるとの返答がきました。雰囲気悪~っと、すぐにそこを後にしたのは言うまでもありません。写真など撮りもしないで。
 結局輪島市街を見限り金沢に戻ることとしました。お昼ご飯はコンビニのおにぎりとチキン程度で軽く済ませて。
 それにしても輪島、あの有名な朝市に合わせて訪れなかった私が悪かったのですが、期待していたからこそ残念なイメージしか残らなかったのは、この旅一番の心残りでした。

 「のと里山海道」は金沢市内起点から羽咋市の柳田ICまでは片側2車線ですが、そこから現在の終点輪島市の、のと里山空港ICまで区間は片側1車線です。往路、その全区間が混雑気味でした。
 さて復路、更に混んでいるのではとの悪い予感は的中しました。所々が渋滞気味でノロノロ運転を余儀なくされます。なぜ渋滞が起きるのか、交通量が多いのはもちろんですが、たまにある追い越し車線が大きな原因でした。
 誰しも少しでも前の遅い車を抜きたくなります。でも悲しいかな追い越し区間はほんの短い距離です。多くの車が躍起になって追い越していくと、その先にはやはり遅い車が必ずいます。そこでスピードに乗った車がどうするかと言えばブレーキです。
 そのブレーキを踏んだ車が多ければ多いほど、どんどんと一台当たりのブレーキ時間が増えていきます。自然渋滞のメカニズムを、今回何度何度も見て体験させていただきました。はい。

金沢市街

 疲れる能登行きを終えやっと金沢市内に戻ってきた私は、広い駐車場を備えた焼き肉店でガッツリと夕食を取りました。軽かった昼食を補うごとく。

 そしてホテルまでの途中、JR金沢駅鼓門の夜景をカメラに収めた私は、一度部屋に帰り、夜の兼六園に向かったのです。
 兼六園は夜間無料開放されているとのこと、ごった返していただろう昼の兼六園より、ずっと趣ある姿を私に見せてくれるでしょう。

 金沢市は戦災を逃れた貴重な街です。ホテル近くの武家屋敷跡は車で通り過ぎただけでしたので、その画像を残していないのですが、兼六園まで歩いていく途中にも、ライトアップされた明治大正のレトロな建物があり、そこは欧州的な空間のようでした。

 国史跡金沢城址。

 加賀百万石の名残を魅せてくれる惚れ惚れするような石垣ですが、明治維新で残城処分となったものの、残念ながら火災でほとんどの歴史的建築物が消失したそうです。戦災も免れた金沢市なのに、なんと皮肉なことでしょう。
 そう言えば約40年前に初めて金沢を訪れた時、城址には金沢大学がありました。高校の同級生が教育学部の学生でしたので、真夏の暑い中オートバイで行き乗り入れたような記憶があります。ただ、記憶違いのような気も・・・。半世紀に近い年月がその時の光景を頭の中から消し去っています。

夜の兼六園

 兼六園の真弓坂口に着きました。

 この日本三名園をあれこれ評論する知識も技量も無い私は、ここではその時に撮影した画像・映像を載せるだけにとどめておきます。

 ただ一点、昼の庭園は全景を楽しむのに最適でしょうが、夜の庭園はライトアップする箇所の選定等々、プロデュース次第で表情を変えてくれます。ある意味、昼よりも面白かったというのが率直な感想・驚きです。

 長かった一日もそろそろ終わりです。

 そろそろホテルに帰って、一杯やりながら金沢・能登での一日を振り返ることとしましょう。

Cozy
Cozy

能登から金沢へ引き返すとき、もうここに来ることは無いのではと、ふと思ってしまいました。ただ還暦を一年以上前に過ぎた今、それは能登に限ったことではありません・・・。

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました